- 発行日 :
- 自治体名 : 埼玉県坂戸市
- 広報紙名 : 広報さかど 2025年10月号
■休臺寺(きゅうたいじ)
◇市内唯一の日蓮宗寺院
休臺寺は、戦国時代に開かれた日蓮宗寺院です。武士の恒岡大林軒(つねおかだいりんけん)が開基(かいき)(創建者)となり、高僧の本行院日慶(ほんぎょういんにっけい)が初代住職で、長柳山妙慶寺(ちょうりゅうざんみょうけいじ)として開かれたようです。
現在の正覺山(しょうがくさん)休臺寺という名に改められたのは江戸時代のことです。休臺寺が位置する片柳地区は、鎌倉時代の古文書に「かたやき」として登場しており、早くから集落が発展していたとみられます。休臺寺境内には、地域の長い歴史を伝える文化財が多く残されています。なかでも注目度の高いものが、戦国時代の元亀(げんき)三年(1572年)に造立(ぞうりゅう)された日蓮宗の名号を刻んだ「題目板碑(だいもくいたび)」です。板碑とは石製の供養塔の一種で、中世に多く作られました。休臺寺の板碑は、上部が尖った特徴的な形状をしており、「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」の文言(題目)や造立した人々の名前、蓮の花や月日をかたどった飾りなどが刻まれています。この板碑は市内では最も新しいもので、造立が終焉(しゅうえん)を迎えた戦国時代の板碑の姿をよく残しています。
県指定史跡になっている「上田朝直(うえだともなお)建立青石塔婆」(東松山市神明町)は、松山城主の上田朝直が元亀二年(1571年)に造立した題目板碑で、休臺寺のものよりも大きいですが形状がよく似ています。休臺寺を開いた恒岡氏は、松山城直属の武士団「松山衆」の一人だったと言われています。題目板碑そのものが珍しいことに加え、ほぼ同時期に造立されていることから、休臺寺の板碑は先に主君が建てたものを参考にして作られたのでしょう。その歴史の裏には、信仰を通した主従の絆(きずな)が垣間見えます。
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