くらし 市長コラム

■「新聞少年」
幸手市長 木村純夫
あけましておめでとうございます。元旦の分厚い新聞束を見ますと、新聞少年のことを思い出します。私が幼少の頃、近所に家計を支えるために、新聞配達をして働く同級生がいました。(当時、「朝刊太郎」の歌謡曲がヒットしていました)真夏でも厳冬でも、深夜早朝から一年中、肩から斜(はす)にかけた帯に大量の新聞を入れて配達する友人の姿は、余りにも強烈で眩しく見えました。中学1年時は同じクラスで、彼は欠席が多かったにもかかわらず、テストの成績も良く、IQ(知能指数)テストは学年トップ。更に、校内マラソンも学校でトップクラスでした。私は彼の存在を常に意識し、軽い劣等感や羨望の念に駆られていました。その反動(御陰)?で私は、いつも新聞記事の端から端まで丁寧に読むようになりました。
新聞離れ、読書離れ、紙離れの進んでいる昨今、級友であった当時の新聞少年への畏敬の念が今でも沸沸と湧き上がってきます。
「学ぶに暇(いとま)あらずと謂う者は暇ありと雖(いえ)ども亦学ぶ能(あた)わず」(淮南子(えなんじ))