文化 先人たちの足跡No.307

■戦後80年に寄せて安食町の配給所(2)
今年は戦後80年です。戦時中、物資を統制する必要があることから、配給制度が始まり安食町(現・栄町)の人々も、80年前は配給制度の下で生活していました。安食配給所として使用されていた建物から配給史料が大量に発見されました。どのような史料があるのか、一部を紹介します。
昭和16年と昭和21年発行の「家庭用米穀通帳」があります。米穀通帳とは米など穀物類の配給を受けるために必要な通帳で、配給日に米穀通帳とお金を持参し、配給日・配給量・いつまでの分かを記帳してもらい、米を購入していました。
米穀通帳には、表紙に住所、世帯主、所属の隣組、発行元と発行日、配給所が記載されています。三つ折あるいは四つ折になって、内側には家族名簿、年令別の割当量、世帯の一日当たりの割当量、配給表が記入されています。折り畳んで裏表紙となる面には「米穀通帳の取扱ひに就いて」という注意事項などが載っています。
配給表を見ると、どちらも一か月に2~3回の配給があったことがわかります。16年6月発行の米穀通帳には6月6日から翌年4月11日までの配給記録があり、21年10月発行の方では、10月3日から翌々年8月9日まで記録があります。米穀通帳に有効期限などの記載はなく、次回の発行まで現行の米穀通帳を使用していたようです。
肝心の配給量は年齢別に割り当てられていて、16年では1~5歳(140g)、6~10歳(250g)、11~60歳(360g)、61歳以上(330g)でした。21年では1~2歳(160g)、3~5歳(220g)、6~10歳(290g)、11~15歳(370g)、16~25歳(380g)、26~60歳(355g)、60歳以上(320g)という細かい区切になっています。世帯人数と一日割当量を見ると、6人家族で10月3日以降は1,800g、10月16日以降は2,050g、11月2日以降は1,960gと変動があります。戦後から数年間の米の配給量は不安定だったことが伺えます。
(栄町文化財サポーター橋口佳緒理)

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