- 発行日 :
- 自治体名 : 神奈川県茅ヶ崎市
- 広報紙名 : 広報ちがさき 2025年(令和7年)8月1日号
終戦直前の平塚大空襲では、茅ヶ崎でも住宅焼失や死者、重傷者が出る被害がありました。柳島で空襲にあった杉山さんと岡田さん、平和への思いをつなぐ活動に携わる野原さん、思いを受け継ぐ世代であり、昨年度平和大使として活動した大和田さんにお話を伺いました。
■戦争体験を伝える
・杉山全(たもつ)さん(86歳)。「柳島いま・むかし会」会員
・岡田正義さん(86歳)。東京から空襲を逃れ茅ヶ崎へ。
杉山さんとは小学校の同級生
※敬称略
□焼夷弾がすぐ横に 恐怖を感じる余裕もなかった
杉山:鮮烈に記憶に残っているのは1945年7月16日、激しい空襲があった日のことです。茅ヶ崎では浜降祭が終わった翌日でした。私は当時小学1年生。夜に爆撃機・B29の焼夷弾(しょういだん)が落ち、あちこちで火の手が上がる中、祖母と兄、弟と逃げ惑いました。行き着いた小出川の土手で並んで布団を被り、身を潜めていた時、突如、私と兄の間に焼夷弾が落ちたのです。わずかにずれていたら、死んでいたかもしれません。朝を待って家に戻ると、自宅は焼失。焼け跡では食料も不足し、焼けた米を掘り出して食べようとするも、臭くて食べられませんでした。
岡田:B29の独特の音や、空襲警報が発令されて学校から集団で駆け足で帰宅したこと、防空壕の土の香りなどを今でも覚えています。今の子どもたちの環境には情報があふれていますが、当時はほとんど情報がなく、生きるのが必死。怖いと感じる余裕もありませんでした。
杉山:終戦後は食糧難の中、サツマイモ、イナゴ、粟、コウリャン(モロコシ)などを食べました。祭りのときの太巻きやうどんはごちそうで、パン屋に粉を持参して甘食を焼いてもらったこともありました。
□自分で考え行動してほしい 世界で起きることを自分事に
岡田:これからの子どもたちには、周りに流されるのではなく、自分でしっかり考えて行動できるようになってほしい。
杉山:世界で起きていることは他人事ではなく、「自分がその状況だったら」と考えてみてほしいですね。
■過去と未来をつなぐ
□原爆展や短文展を実施 平和の尊さを考える場に
・野原富美子さん「平和を考える茅ヶ崎市民の会実行委員会」委員長
原爆展では原爆の模型や写真を展示しています。今年は有名な写真「焼き場に立つ少年」も展示。来場者の中には、展示を見て戦争体験を語り始める方もいます。また、子どもたちから平和への思いを短文で募集し、戦争の悲惨さと今の平和の尊さについて考える活動も行っています。
■未来へ受け継ぐ
□体験者の言葉を見て聞いて 語り継いでいくことが大切
・大和田みどりさん(鶴嶺中学校3年生。2024年度ピーストレイン平和大使)
平和大使として広島に派遣され、被爆者から話を聞いたとき、「現実に起きたことなのか」と衝撃を受けました。戦後80年が過ぎ、戦争を知らない人が世の中の中心になる時代が訪れます。平和の心を絶やさないよう、戦争体験者が伝えてきたことを私たちが語り継いでいきたいと思います。
問合せ:多様性社会推進課
【電話】81-7150