- 発行日 :
- 自治体名 : 新潟県関川村
- 広報紙名 : 広報せきかわ (2025年7月号)
■「江戸時代わが村の暮らし」(50)
酒屋の権利は、誰のもの?
〜「歴史とみちの館」所蔵・平田家文書を読む〜
(村歴史文化財調査委員 渡辺伸栄)
◇いざこざの発端
小見村の重兵衛さん、困ったことになりました。
これまで何十年も酒の小売業を営み、そのための税も納めて来たのですが、どうやらその権利を示す証拠書類をなくしたようなのです。
証拠がないのなら、小売りの権利は小見村のものだから村によこせと村役人や村の衆から言われ、それは困ると代官所に訴え出ました。天保五(一八三四)年のことです。
江戸時代の税は、個人ではなく村にかかってきます。このときより五十九年前の小見村への納税通知書(連載第36回で紹介)にも、売酒屋の税として米二斗五升が入っています。
村が納税しているのだから、個人に権利がないのなら村のものだという主張も成り立つわけです。
◇渡辺三左衛門の仲裁
こんな場面では、いつも仲裁人が入って話をまとめます。
今回は、酒小売組合の元締め渡辺三左衛門が、うまく話をまとめてくれました。こんな内容です。
(1)重兵衛から村へ手当金を払うので、小売りの権利は重兵衛のものと認め、商売のじゃまはしないこと。
(2)村の酒屋税を重兵衛が払うのは当然で、万一将来、重兵衛が田畑を手放すことがあっても税はきちんと払うこと。
(3)これから先ずっと、村が酒の小売りを取り扱うことは、しないこと。
これで、今まで通りということになって、余計な出費はあったものの重兵衛さんも一安心といったところです。
◇この文書の不思議
さて、このようないきさつを書いた文書(写真は冒頭部分)ですが、よく読むと不思議な箇所があります。
差出人は重兵衛と三左衛門の代理甚六で、宛先は、小見村村役人の庄屋・組頭・百姓代です。
それで、文末にこんなことが書いてあります。「今回和解合意が成ったのは、皆さんのお声掛けがあったからで、有難く思っております」と。村役人は訴えた相手です。それなのにこの言い方は、何か変です。
きっと、小売りの権利は村のものだと言い出したのは一部の村の衆で、村役人は穏やかに元の鞘に納めたかったのはないでしょうか。
いつの世も変わらぬ、人間社会の微妙な雰囲気が伝わってきます。
(原文と解説は歴史館に展示、又は、下の本紙QRから)