- 発行日 :
- 自治体名 : 石川県七尾市
- 広報紙名 : ななおごころ 広報ななお 令和7年(2025)9月号
会期:9月20日(土)~10月16日(木)
休館日:9月30日(火)、10月7日(火)、14日(火)
いよいよ七尾に「松林図屏風」がやってきます!
今回は「松林図屏風」の謎や逸話を紹介しながら、その魅力に迫ってみましょう。
■松林図屏風をめぐる9つのストーリー
(1)国宝100選 第1位
平成9年放送のNHKの番組で、当時の美術研究者や各ジャンルの芸術家たちなど約300人が選んだ国宝10点を集計した100選で、数々の名作を抑えて「松林図屏風」が第1位に輝きました。
(2)昔は門外不出だった?
昭和の時代には、「国立博物館と国際交流以外は不出品」と言われ、所蔵先の東京国立博物館(以後、東博)でも3年に1度の公開だったと聞きます。最近では「文化財の保存と公開」の推進などもあり、以前よりは門が開いたのではないでしょうか。
とはいえ、平成17年の当館開館10周年に2週間だけ特別公開したときは、関係者の間でも「地方の小規模館で公開されるのは異例中の異例」「最初で最後だろう」とささやかれていました。
(3)旧所蔵者は誰?
現在は言わずと知れた東博ですが、昭和22年に福岡孝紹(たかつぐ)から購入したといいます。
孝紹の祖父・福岡孝弟(たかちか)は土佐藩士で、古美術のコレクターとしても知られた人物のため、本屏風は「孝弟の愛蔵品だったのでは?」とも言われます。
ただ、いつ、どのような経緯で福岡氏の所有となったのか、それ以前のことは何も分からないそうです。当時、知られていなかった本屏風を購入した東博も〝先見の明〟があったのですね。
(4)印章(はんこ)は等伯の基準印か?
両端に押された「長谷川」と「等伯」の印章は、いずれも等伯の基準印といわれる印章とは異なります。
また、紙と印肉との違和感から、研究者たちは制作当時のものではなく、いわゆる後世に押された〝後落款(あとらっかん)〟だと考えています。
これは、この屏風が制作当時どのような形状であったかという論争にも、深く関わってきます。
(5)元から屏風なの?本画か、完成前の草稿(下絵)か?
本図の大きな謎……そもそも元から屏風なのか。紙継ぎの横線を見ると、継ぎ目がずれています。紙質が意外と粗く、後落款問題とあわせて、元々は草稿、大下絵ではないかとみる研究者が増えてきました。
一方、元々紙継ぎがずれている名画はほかにも見られ、屏風ではなく室内に描かれた障壁画の草稿や大下絵ではないかとする説まであり、今なお決着が付いていません。