文化 歴史散歩〔224〕

■津城かわら版(12) 津城天守台の石垣[1]
昭和40年代のお城公園の整備の際に建築された津市社会福祉センターは、50年以上利用されてきましたが、耐震診断の結果、引き続きの利用は困難となり、令和7年度中に解体撤去することになりました。
この建物の北側に近接して、津城の大天守と小天守という二つの天守台の石垣があります。津城の天守台は、天正8(1580)年、織田信長の弟信包(のぶかね)によって築かれ、五重の天守があったとされています。これは江戸時代になってからの記録等によるもので、築城された当時の資料で確認することはできません。
その後、城主は富田知信となり、慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いの直前に、徳川方に属した富田氏の津城が豊臣方の攻撃を受けた時、五重の天守が焼失したと伝えられます。これも江戸時代の所伝によります。
津城の天守が確認できる資料は、江戸時代の寛永年間(1624〜44年)に描かれた津城下町の絵図の写しで、三重の大天守、二重の小天守が描かれています。
津城の天守に関しては、いつ建てられ、無くなったかなど議論のあるところですが、今回の解体撤去工事に先立って、その構造等を知るため建物と石垣との間で3カ所を部分的に発掘し、約27平方メートルの調査を実施しました。その結果、大天守、小天守の石垣の基礎構造が解明され、二つの天守の築造時期も分かってきました。次回はその調査内容を紹介していきます。
※画像など詳しくは本紙をご覧ください。

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