- 発行日 :
- 自治体名 : 滋賀県愛荘町
- 広報紙名 : 広報あいしょう 2025年7月号
■金剛輪寺の初観音(はつかんのん)・大般若転読会(だいはんにゃてんどくえ)
金剛輪寺では毎年1月18日、新年最初の観音菩薩の縁日に、参列者の方々の健やかな1年を祈願して「初観音・大般若転読会」が執り行われます。
大般若転読会とは、『大般若経(だいはんにゃきょう)』というお経を読み上げる法要で、古来より国家安寧を祈るため、天変地異や疫病を鎮めるためといった目的で行われてきました。
今回は、今年の「初観音・大般若転読会」について紹介します。
1.大般若転読会とは?
大般若転読会では『大般若経』を数人の僧侶で分担し、“転読”という方法で読み上げられます。
まず、『大般若経』は正式には『大般若波羅蜜多経(だいはんにゃはらみつたきょう)』といい、『般若経(はんにゃきょう)』の集大成といわれる全600巻に及ぶ経典です。『般若経』は大乗仏教(だいじょうぶっきょう)の根底となる文献群で、仏教における「空(くう)」の思想を説いています。正確な成立時期は不明ですが、1世紀頃に一応の完成をみたといわれています。
『般若経』は1世紀以降、チベット語や漢語に一部が翻訳され、広い地域で読まれました。やがて7世紀になり、『西遊記』の三蔵法師のモデルとして知られる唐(とう)(中国)の僧侶、玄奘(げんじょう)(602頃~664)がインドから他の仏典と共に『般若経』関連の経典を持ち帰って翻訳し、『大般若経』を完成させました。
『大般若経』の日本への伝来時期も定かではありませんが、歴史書『続日本紀(しょくにほんき)』に「大宝(たいほう)3年(703)、『大般若経』を4つの寺院に読むよう命じた」との記述があり、『大般若経』の成立から約40年後には日本に伝わっていたことが分かっています。
次に、転読は経典の主な部分(各巻の冒頭部分など)を読誦しながら経典の頁を一斉に広げ、その巻を読み上げたこととする読み方です。最古の記録である歴史書『続日本紀』によれば、奈良時代、天平(てんぴょう)7年(735)まで遡り、宮中や大安寺(奈良県奈良市)をはじめ4つの寺院で転読が行われていたようです。
最初に住職が『大般若経』の第1巻を転読し、続いて6人の僧侶が転読をはじめます。住職が第1巻と第600巻、6人の僧侶が第2巻~第599巻を約100巻ずつ分けて担当します。
住職が「理趣分(りしゃぶん)」を読誦する間、ほか6人の僧侶が転読します。
その流れは、「大般若波羅蜜多経(だいはんにゃはらみつたきょう)第(だい)〇唐(とう)の三蔵法師(さんぞうほうし)玄奘奉詔譯(げんじょうぶしょうやく)」(〇は巻数)と唱えて経典を一斉に開きます。そして「降伏一切大魔最勝成就(こうぶくいっさいだいまさいしょうじょうじゅ)」と唱えて正面に置いてある経箱を叩き、経箱の上に読み終えた経典を積み上げます。この一連の所作を約100巻分行います。
最後に住職が第600巻を転読して、『大般若経』の転読が終わります。転読が終わると、天台声明の斉唱や『般若心経』の読誦、祈願文の読み上げなどが行われ、法要は終了します。参列者の中には法要の間、黙祷や合掌する人が見受けられました。
2.令和7年の初観音・大般若転読会
金剛輪寺における「初観音・大般若転読会」は本堂において、導師を務める金剛輪寺住職と、転読する僧侶6人の計7人で執り行われます。堂内の内陣(ないじん)(仏像を安置する場所)には、本尊正面に住職の席、その両脇に3席ずつ、ほかの僧侶が座る席があります。やがて、僧侶7人が席に着き、天台声明(てんだいしょうみょう)(仏教声楽曲)、法則(ほっそく)(法要の目的を述べた言葉)が唱えられると、転読がはじまります。
3.終わりに
「初観音・大般若転読会」は金剛輪寺の年中行事として行われてきました。このような行事として5月5日の「仏生会(ぶっしょうえ)・花祭り」や、8月9日の「観音盆千日会(かんのんぼんせんにちえ)・千躰地蔵盆(せんたいじぞうぼん)」があげられます。
この「初観音・大般若転読会」以外の法要や祭礼も、起源や歴史等を振り返ってみると、何か新しい気付きや、人々の神仏への願いや思いがわかるかもしれません。
歴史文化博物館学芸員 西野愛