くらし 堤防の安全願い 水害の歴史を伝える経塚

佐山村の住民が堤防の安全を願って建てたとされる経塚が、木津川堤防上の四阿(あずまや)に佇んでいます。
昭和28年の水害がきっかけとなり誕生した久御山町。江戸時代だけでも70回以上の大規模水害に遭い、水との闘い抜きには久御山町の歴史は語れません。
大松寺に残る記録などによれば、享和2年、雙栗神社に保管されていた大般若経600巻が洪水で水に浸かってしまいました。文政3年、地元住民が村の安全を願い、洪水の被害に遭った大般若経600巻を3か所に分けて埋め、そこに碑を建て、願いを込めたのがこの経塚です。しかし、3つあったはずの経塚のうち2つは行方不明に、残りの1つは地元郷土史会のメンバーが平成15年に木津川堤防の草むらから探し出し、堤防下の農道沿いに据え直し、住民たちの手で守ってきました。後世にこの歴史を残すため、地元住民からの要望もあり、今年7月9日に四阿に移設されました。
移設にあたり供養を行った大松寺の富田住職は、「200年以上にわたり受け継がれ、それだけ歴史のあるものが今回きれいになって移設された。さまざまな方に見てもらえるので、このまちのことを知ってもらうきっかけになれば」と話します。
この経塚は、木津川の洪水記録を伝える自然災害伝承碑であり、これからも久御山町の平穏を見守り続けます。