- 発行日 :
- 自治体名 : 大阪府枚方市
- 広報紙名 : 広報ひらかた 令和7年7月号 No.1343
◆痕跡3 江戸時代の枚方宿は地下に眠っている?!
□現代に残る本陣の痕跡 手がかりは石垣
幼児療育園跡地と、三矢公園裏手にある安居川(あんごがわ)ポンプ場では、護岸のために造られたと考えられる石垣を確認できます。この石垣は積み方などから明治時代に造られたものとみられていますが、整備された歴史をひもとくと、江戸時代、本陣の敷地の端が石垣の辺りだったことの手がかりとなります。
□堤防の拡大とともに地下に埋もれた町
江戸時代から明治時代にかけて、枚方宿は水害の際に堤防を積み上げて改修することを繰り返しました。それに伴い町家が建つ部分も広くなり発展していきますが、その過程で江戸時代の枚方宿の痕跡は、地下に埋もれた文化財(遺跡)となっていったのです(下図)。
□市役所の間を川が流れている?
現在の安居川は、枚方市役所の方からポンプ場の地下まで続いています。市役所別館の増築工事中の写真(左・昭和49年撮影)では、本館と別館の間に流れる安居川を確認できます。
□淀川があったことで人と物が集まった
宿場町が淀川に面していたことは、水運による物流が盛んに行われる利点もありました。江戸時代、安居川と淀川の合流地点は枚方浜と呼ばれる船着き場で、船を検査する船番所、本陣、宿場町間の輸送業務を行う問屋も設けられ、水陸両方の交通の要衝として大きくにぎわいました。枚方宿の当時の様子は、鍵屋資料館でみることができます。
◆痕跡4 枚方宿に残る江戸時代の宿・鍵屋
□川底の陶磁器が示す旅人の往来
鍵屋は、今は江戸時代の史料を展示する資料館となっていますが、江戸時代は街道や船で淀川を行き交う旅人の宿屋でした。街道に面して店を開いており、裏側の石階段の下は淀川の船着き場となっていました(下絵図)。江戸時代も中期から後期頃には、京都や大坂、あるいは寺社詣の観光が大きく発展します。資料館には、鍵屋のほか、枚方宿での発掘調査で出土した九州の有田焼や京焼などの陶磁器、淀川の川底からもたくさん出土する「くらわんか茶碗」と呼ばれる波佐見(今の長崎県波佐見町)産の染付碗が展示されています。これらの質や量の豊かさは、枚方宿が大きく発展し、多くの旅人などでにぎわった姿を示しています。
「当時の淀川は、鍵屋資料館のすぐそばまで来ており、人や荷物を運ぶ大型船・三十石船が停泊していたといわれています。鍵屋資料館は、そんな枚方宿の歴史を紹介する唯一の資料館です。館内では当時を再現したジオラマや、くらわんか舟の模型、「くらわんか」の名前の由来となった三十石船の乗客に飲食物を売りつける際の様子を再現した映像などを見ることができますよ。」
市立枚方宿鍵屋資料館
学芸員 片山 正彦さん
枚方宿鍵屋資料館(堤町10-27)
【電話・FAX】843・5128
開館時間:午前9時30分~午後5時
休館日:毎週火曜ほか(祝日は開館・翌平日休館)
入館料:一般200円ほか
□宿場町のにぎわいが現在の枚方市へ
井戸:今回は戦国時代から明治時代にかけて、枚方が発展してきた痕跡を見てきました。
市長:石垣がとても気になるね!個人的にまた見て回ろうかな。
井戸:明治時代以降は、商店などが多かった東側へ町の中心が移っていき、さらに拡大したのが、現在の枚方市駅周辺の発展の礎ということになります。
大井:市駅周辺のにぎわいは歴史的な成り立ちがあるんですね。
市長:歴史を学ぶと、気になることが増えて街への興味が湧いてきます。市民の皆さんもぜひ、これを機に枚方のことを調べて市の魅力を見つけてほしいですね。私たちはきっかけを与えられるよう、市の情報をもっと発信していきましょう!
井戸・大井:はい!
◆枚方宿など市の魅力を体感できるツアーが完成!詳細は本紙コード参照または市観光案内所Syuku56(【電話】896・7555)へお問い合わせを。
※詳細は本紙をご覧ください。
問合せ:文化財課
【電話】841・1411【FAX】841・1278