くらし ふるさとねやがわ 第76回

■市職員から母校の指導者へ
4年でつかんだ〝全国切符〟

仙台大学陸上競技部コーチ
川中 敏也(かわなか としや)さん(60歳)

56歳の決断でした。請われて寝屋川市職員から母校の仙台大学陸上競技部の女子駅伝コーチに転身。ゼロからの出発でしたが、就任からわずか4年で、教え子たちを地元で開催される全国の舞台に導きました。

◇日本インカレ2度出場 母校から白羽の矢
大阪市で始まった全日本大学女子駅伝対校選手権は20年前から宮城県仙台市で行われ、杜(もり)の都駅伝として定着。「地元の大学としてもっと盛り上げたい」と、選手の育成と指導に大学が白羽の矢を立てたのは陸上競技部OBの川中敏也さんでした。
市立第六中学校で陸上を始め、体育系の仙台大学へ。3000m障害物で東北学生記録をマークし、日本学生選手権(インカレ)に2度出場。4年生のときには全日本大学駅伝を目指し、念願かなって1区で伊勢路を走りました。

◇妻の一言で決意 宮城へ単身赴任
母校からコーチ就任の話が来たのは7年前でした。寝屋川市役所に入って30年目の年。管理職として多忙を極め一度は断りましたが、再三の要請に心が揺れ動き、最後に背中を押したのは妻の一言でした。
「好きなことは挑戦するべき。思う存分やってほしい」。かつて体育教師の道を諦めた川中さんにかけたこの言葉が決め手となり、定年まで4年を残して退職。令和2年10月、単身で宮城県に赴任しました。

◇スカウト活動で苦労 熱意伝え信頼関係築く
選手獲得で高校を訪ね、顧問に協力をお願いしました。初めはなかなか話を聞いてもらえませんでしたが、杜の都駅伝にかける思いを伝え、ときには指導者としての教えを乞(こ)うと徐々に心を開いてくれました。
2年目から有力選手が入部。全日本大学女子駅伝の東北学連選抜メンバーにも選ばれるなど着実に力を付け、信頼関係を築いてきました。

◇目標達成し全国の舞台へ タスキつなぐ選手の姿に涙
全日本大学女子駅伝は昨年、1校だった東北地区の出場枠がシード校の関係で2校に拡大。巡ってきたチャンスに「自分の力を出せば結果は必ず付いてくる」と選手を励まし、地区予選を突破。大学として37年ぶりの全国切符をつかみました。
10月の大会当日、緑のユニホームの選手6人がタスキをつなぎ、初めて杜の都を駆け抜けました。結果は25チーム中24位。レースを終えた選手を前に「実績のない大学に来てくれたことや練習で頑張っていた姿が頭の中を巡り、涙があふれました」。

この春、強豪の仙台育英学園高校などから3人が入り部員は12人に。日中は課長として大学の業務をこなし、練習では全員に目を配ります。今年の目標は連続出場。「全国大会で走った反響は大きく、自己管理をしっかり行いチーム一丸となって皆さんの期待にこたえたい」と気を引き締めます。

◆私とふるさと
市立三井小学校に入学したのは市の人口が急増した頃で、1学年で5クラスもありました。市立第六中学校も当時は4つの小学校区から通うマンモス校でした。放課後はみんなとよく遊んでいました。
市役所では障害児や子育て支援などの福祉にかかわる仕事を担当。いまは仙台に単身赴任中ですが、やはり寝屋川市が一番の故郷。帰省は年に2度ほどですが、寝屋川市に帰るとホッとします。