- 発行日 :
- 自治体名 : 兵庫県養父市
- 広報紙名 : 市広報やぶ 2025年8月号(第257号)
■但馬傷痍軍人(しょういぐんじん)の碑
今年は、昭和100年にあたります。昭和20年8月15日、太平洋戦争(大東亜戦争)が終わりました。八鹿町天子の屋岡神社前に、但馬の傷痍軍人を祀る碑があります。
高さ4メートルの石碑に「傷痍軍人之霊 陸軍大将男爵本庄繁書」と刻み、その前に13基の副碑を置いて但馬の関係者氏名を記しています。他にも敷地には鳥居や灯籠が建てられています。
昭和42年に但馬傷痍軍人連合会は、八鹿小学校長・東井義雄先生に原稿を依頼し、解説の石碑を建立しています。
「我らの育まれしこの美しき国土は、これ我らの父母の眠れる処。その連綿たる歴史と香しき文化はこれ父祖の築きたりもの、これを護りこれを継ぎ、これに栄光をあらしむるは我らの責務なり。この故に先輩師友、海征かば水(みづ)く屍(しかばね)、山征かば草むす屍と、その若き美しき生命をも敢て祖国に捧げられし也。我らまたこれに続かんとして国難に臨み、ある者はその生身の腕を捧げ、ある者はその脚を捧ぐ。またある者は肉を削り骨を砕き捧げて、もって身を傷痍となし、しかも悔いず。然るに戦敗るるや世道混迷(せいどうこんめい)、人倫顚倒(じんりんてんとう)、世風にわかに冷く我らの傷痕に惨(いた)む。我ら、老父母妻子を擁して幾度も悲嘆せん(後略)。」
(参考『八鹿の碑文』小田垣義雄、昭和61年発行、274頁)。
(教育委員会歴史文化財課)