- 発行日 :
- 自治体名 : 香川県土庄町
- 広報紙名 : 広報とのしょう 令和7年8月号
■スペシャルインタビユー 島の両町長から横浜監督へいろいろとお聞きしました
大江町長:小豆島をロケ地に選んだ理由と、決め手になったことがあれば教えてください。
横浜監督:海とアートが要となる映画なので、全国の海を臨む土地を探していて、瀬戸内海も候補の一つでした。小豆島は、海はもちろん山もあり歴史も残存しており、何より他と違ったのはアート作品が島の至る所でまちと融合していたところ。たくさん刺激をもらいました。この映画では実際に存在する特定の地名は一切出てきません。そんな匿名性と、小豆島のちょっと非現実的な土地柄がとてもマッチしていると思いました。そしてフィルムコミッションの方がとても熱心で、映画に力を注いでくれる心意気に打たれ、最終的にはそんな「人の力」が決め手になりました。
岡野町長:原作者の三好銀さんのファンとしても知られる監督。「もし映像化されることがあるとしたら他の誰にも撮られたくない、と思った」と伺いました。実際撮影されてみて、いかがでしたか?
横浜監督:今でも自分が三好銀さんの世界一のファンだと思っているのですが(笑)、やったった!という思いです。映画化の話を持ってきてくれた和田プロデューサーに感謝です。三好さんの原作には「この物語をどんな語り口で映像にするのか?」という問いへの無数の選択肢、自由さがあります。その広大な自由を前に足がすくみそうになったときもありましたが、最終的には三好さんの世界の中で楽しく遊ばせてもらったという感覚です。三好さんが映画をご覧になったらどう思われるかなという考えがいつも頭をよぎります。それは答えの出ないことなのですが。
大江町長:ベルリン国際映画祭の「ジェネレーション部門・Generation Kplus」でのスペシャルメンション受賞おめでとうございます。アートを通して「誰かに認められるためではなく、自分がやりたいことをやる」などのメッセージがちりばめられていたと感じました。作品を通じて子どもたちや大人たちに伝えたいことはありますか。
横浜監督:ありがとうございます!小豆島のみなさんとともに受賞した賞だと思っています。自分が生きている間に未曾有の震災があり、コロナがあり、その度に「映画ってもうなくなってしまうのかな」「作り続ける意味あるのかな」と弱気になったりしました。今も世界中で戦争が続いています。落ち込みます。でもそんな時にも作り続けることが大事で、芸術を諦めたらそれが本当の終わりなんだと思います。役に立つ立たないという狭い視野ではなく、作り続けること、それが生きることだと、誰かに伝えたいというよりも自分自身に言い聞かせています。
岡野町長:思い出の場所や「これが美味しかった」という思い出のグルメはできましたか?
横浜監督:撮影でも訪れた迷路のまちは、人々の過去と今、両方を感じることができてとても好きな場所です。ロケハン時、真夏の太陽の下で食べた醤油ソフトクリームも思い出深いです。オリーブ素麺は大のお気に入りでお土産の定番になりました。撮影で使う消え物(食べ物)を作ってくれたご縁で、撮影後に一人で訪ねたオランダ風車小屋のお店が素敵で、また行きたいです。
大江町長:オール小豆島ロケということで島民の皆さんに馴染みある風景が多くあり、地元の方々がキャスト、エキストラとして協力したと聞いています。皆さんと撮影した感想を教えてください。
横浜監督:映画を見てもらえるとわかると思いますが「カエルの合唱」や「静か踊り」のシーンではたくさんのエキストラの方が必要で、撮影前日まで本当に集まってくれるのだろうかと不安でした。当日蓋を開けてびっくり、本当に多くの方が集まってくれました。感謝してもしきれません。撮影に何度も何度も来てくれた方もいて仲良くなったのが思い出です。一緒に撮った笑顔の集合写真は大事に飾っています。オーディションに来てくれた島民の皆さんも重要な役どころで出演してもらいました。個性豊かな方ばかりで、撮っていて楽しかったです。土庄中学校で撮影したプールや廊下のシーンも好きなシーンです。先生、生徒の皆さん、ありがとうございました。
大江町長・岡野町長:最後に島民やファンへコメントや見どころをお願いします。
横浜監督:小豆島のようにゆったりとした時間が流れる『海辺へ行く道』、少し不思議な物語でもありますが、思い込みを捨てて、自由な目線で映画を楽しんでもらえれば嬉しいです。