- 発行日 :
- 自治体名 : 愛媛県大洲市
- 広報紙名 : 広報おおず 2025年2月号
今回は、肱川と深い関わりを持っている大洲市の産業とその変遷について紹介します。
■肱川の舟運(交通・運輸)
豊かな水量と緩やかな流れを有する肱川は、かつて川舟による貨物輸送路として大きな役割を果たしました。
明治・大正時代には、肱川沿いに40以上の川港が開け、200艘(そう)以上の川舟が行き交っていました。
上流(鹿野川)からは林産物、中流(菅田・五郎・八多喜)からは穀物・野菜・繭などの農産物、内子・五十崎からは晒(さらし)ろう・和紙などが積み出され、阪神方面をはじめ県外各地には、長浜から機帆船で運ばれていました。
木材・竹材などは筏(いかだ)に組んで流し、鹿野川から長浜まで2日ぐらいかかって運んでいたようです。
その後、道路や鉄道の開通に伴い、バス・トラック・鉄道による陸上輸送に移っていきました。
■肱川と産業の変遷
肱川流域における肥沃(よく)な土壌と豊富な水は、基幹産業である農業をはじめ、蚕糸業や酒造業などの伝統産業を育んできました。
昭和50年頃には、東大洲地区への工場誘致や晴海・拓海工業団地開発に伴い、肱川の伏流水や地下水を水源とした工業用水道施設を整備しました。
晴海工業団地で昨年8月に営業運転を開始した大洲バイオマス発電所は、木質ペレットを燃料に使用するバイオマス専焼火力発電所(発電出力5万kw(約7万世帯分))です。発電所の誘致にあたって、発電や冷却をするために以前整備した工業用水道では賄いきれない量の水が必要となりました。そこで、給水に必要な施設・設備を発電事業者が追加で整備し、その一部を市へ寄付していただきました。この施設を使って工業用水の給水を行っています。
このように、肱川を巡る産業は時代と共に移り変わっているのです。