くらし 人権学習シリーズ 394

■「戦後80年、争いの多い時代になって」
瀬戸公民館長 坂本 明仁
今年は戦後80年の節目の年であったせいか、戦争をテーマとした番組が例年より多く目に入ってきました。
私は戦中戦後の我が国の激動の時代を知らずに育った世代であるため、物心がついてから一つひとつの戦時中の映像などから戦争によって生じた悲惨な様子を知ることができました。
また、歳を重ねてきたなかで、自分自身も大切な家族を失い、長く失意の中で暮らした経験から、戦争に招集された夫や子どもを失った方々のやりきれない心情を少しばかり慮ることができる人間になったと思っています。
戦争は繰り返してはならない、悲惨な過去に戻してはならない、戦争は既に過去の話、というのが世の中の常識だと思っていましたが、ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのパレスチナ自治区ガザ地区への攻撃など、ここ数年の間に世界中で紛争が始まったことから、戦いは意外と予期せず始まる可能性があることを知らされました。
現在、戦地で一般市民が多数被災し、多くの子供たちが飢えている様子を見ると心が痛みますが、一方では、平和な日本で安心して生活ができる毎日がいかに幸せで恵まれた状況であるかを改めて実感せざるを得ません。
以前、鹿児島県の知覧特攻平和会館を訪れる機会があり、学徒出陣で特攻隊に入って戦死した若者の写真や辞世の句、家族への別れの手紙などを見て衝撃を受けたことは記憶に新しいですが、今の平和な日本の礎には命を捧げて戦った若者たちの犠牲なくして語れません。
人は、なぜ戦争をするのでしょうか。それは、領土や資源の獲得、民族や宗教の違いによる対立、勢力の拡大など、理由は様々ですが、戦争を始めるのも終わらせるのも、人が決めているということです。人は知恵を持っています。戦争がいかに愚かな行為で、大きな代償を払い、失うものが大きいことなど十分承知しているはずです。
しかし、人は、指導するものと従属するものに分かれ、人の心の中には闘争本能があります。人は、動物と同じように暴力で決着をつけてきました。
ウクライナ侵攻によって、ひとたび戦争が始めれば終わらせることは簡単ではないと言われています。指導するものの意思によって、今後核兵器を使用する戦争になれば人類は滅亡の道へ進むことにもなりかねません。
世界で唯一の被爆経験国の日本被団協が訴える「核兵器をなくせ」、「戦争をなくせ」、「ふたたび被爆者をつくるな」の声をはじめとした平和を願う声が世界の指導者を動かして平和な世界が訪れることを願うばかりです。
一方、私たちの小さな日常においても何らかの争いや対立は生じています。何事も力で解決するのではなく、知恵と言葉を持つ人間として、話し合いによって穏やかな日常を築いていくことが、今を生きる私たちに託された小さな使命ではないでしょうか。