- 発行日 :
- 自治体名 : 福岡県八女市
- 広報紙名 : 広報八女 2025年8月1日号
■戦争と人権侵害について考える
今年は、日本の敗戦により第二次世界大戦が終結して、80年になります。戦争を実際に体験した人が少なくなった今、戦争の実情を後世に伝えることは意義のあることです。「戦争は最大の人権侵害」と言われます。戦争をしている国や地域では、子どもや女性、高齢者や障がいのある人など弱い立場の人々に犠牲が集中します。まさしく「戦争は最大の差別」でもあるのです。
▽風船爆弾を知っていますか
太平洋戦争は、1944(昭和19)年になると日本本土が空襲されるなど戦況が急速に悪化していきます。そこで、日本軍が劣勢を挽回するためにとった戦術が風船爆弾です。
風船爆弾とは、日本上空8000メートルから12000メートルで吹いている強い偏西風(ジェット気流)を利用して気球を飛ばし、積み込んだ爆弾でアメリカ本土を攻撃しようとするものです。気球には、ゴムよりも気圧の変化に強いという理由で、和紙をコンニャクのりで張り合わせたものが使われました。
この和紙をコンニャクのりで気球のパネルに張り付ける作業を担ったのが、14歳から20歳の若い女性たちです。昼夜2交代制の12時間労働という大変厳しいものでした。八女では、八女高等女学校(現在の福島高校)と八女津高等実修女学校(現在の八女学院)の女学生が、勤労学徒隊としてこの作業に従事しました。
日本軍は、この風船爆弾を25000個製造する計画を立てました。そこで、八女も含めた全国の手すき和紙生産地に生産が割り当てられ、障子紙や他の製造は完全にストップさせられました。
▽憎しみの連鎖を超えて
風船爆弾は最終的に約9000個放たれ、約300~900個が北アメリカ大陸に到達しました。犠牲者はアメリカ・オレゴン州ブライで7人(日曜学校の生徒5人と引率の女性1人およびその胎児)でした。
風船爆弾の製造にかかわった元八女高女の4人の女性は1996(平成8)年、7人の犠牲者の家族を現地に訪ねました。※1
戦争は憎しみの連鎖を生み出します。憎しみは復讐へとつながります。そしてその復讐の暴力は、弱い立場の人々へ集中します。これが差別なのです。彼女たちは、この憎しみの連鎖を断ち切るために犠牲者への慰霊の旅に出ました。
知らないうちに戦争に加担させられるその過程は、紙芝居「おばあちゃんと風船ばくだん」(原作:風船爆弾を語り継ぐ会)に描かれています。
戦争による人権侵害をなくすためには、私たち一人一人が歴史の事実を直視することが大切です。こうすることでお互いの信頼関係が生まれ、差別をなくす第一歩につながります。
※1 詳細はドキュメンタリー映画「紙の翼に乗って」に描かれています。人権・同和教育啓発センターにてDVDの貸し出しを行っています。【電話】24-8977
問い合わせ:人権・同和政策・男女共同参画推進課
【電話】23-1490