くらし みんなで人権(じんけん)を考える「つなぐ」TUNAGU II

■「TUNAGU II」とは
人と人、心と心をつなぐ、世界とつなぐ―人権尊重のまちづくりの一環として、さまざまな人権問題について市民の皆さんと共に考えます。

■学(まな)ぶことは生(い)きること
そのだ ひさこ
人はどこに生まれるか、どう育てられるかなどを選ぶことができない。私は物心つくころから、気づけばふるさとからの脱出ばかりを願っていた。その脱出心には、母や私をさげすみ、いたぶった眼差しへ暗い復讐心のようなものが巣くっていた。気付けば私の生育環境には新聞も雑誌も漫画も「文字」らしきものはなかった。そんな生活の中で、何故か「言葉は敵だ」という思いが自然に湧いてきて、作文の宿題が出るとメソメソ泣いた。「書けば自分の中に閉じこめていた悲しみが消えるから」と、言葉を自由に駆使している先生たちから言われても、信用することができないと自然に思うようになっていた。
そんな私の大学進学時、「むら」(被差別部落)の促進学級でアルバイトをしながら部落問題に初めて出会った。その中で、心にストンと入ってくるような言葉を発する井元麟之さんや松崎武敏さんに出会い、「言葉は[生きもの]である」ことをじわじわと思いしらされた。
中学校の教員となって晩年、その「むら」の「寛政義民松原五人衆」の史実と伝承を詩に表し、絵本『いのちの花』として出版した。自分が一度も受けたことのない差別の問題を言葉にすることの困難さを感じ、何年も、何十回も書き直した。拒否しづけてきた「言葉」への初めての挑戦だった。言葉にチャレンジさせてくれたのは「むら」との出会いである。だが、残り少ない人生の中でさえ、胎内に刻まれた痛みのような言葉が欲しいという思いは今もふつふつとある。
そんな私はいつのころからか、識字文学が大好きになった。部落解放文学賞に62歳で初めて応募した井上ハツミさんの作品「私の生まれた日」(うたとことば…解放出版社)を何度も読み返している。生い立ちや日常の暮らしを見つめ、やさしい言葉で、淡々と素朴につづられている「かたり」には、差別のきびしい現実が滲み出ている。その事実のあまりの過酷さに、心痛み途中で止め、でもまた読み始める。
文学賞に応募するとき、彼女は仏壇の前で、手をあわせながら、「いいのかなあ、父さん母さん、書くよ」と呼びかけて「おまえが前をむいて歩くのなら、書きつづけていいんだよ」と父さんの言葉を独り言でつぶやき書き始めた。
ハツミさんの『屑鉄ひろいの出会い』が第30回部落解放文学賞の識字部門で入選した。「人の心に傷を負わすな」という一生忘れることのない言葉をのこしてくれた在日韓国人のAさんとのあたたかいつきあいが書かれている。ハツミさんの受賞時のコメント「識字生にとって、学ぶことは生きることであり、世の中を見定める武器であることを肝に命じ、頑張りたいと思います」私もそんな学びを肝に銘じて続けていきたい。

■もじおもい。
差別と貧困のため学ぶ機会を奪われた「むら」の人々の文字を獲得しようとする必死の営みは、きつい労働の後、疲れた体を抱えて識字学級に通うことから始まりました。当時握った鉛筆が鉛のように重かったという人もいます。
言葉(言刃)によって虐げられた人々が、文字を使って書いたり話したり、そして、文字を読むことによって社会のできごとを知ることは、就労や生き抜くことそのものにつながりました。その中で市内のある人の短歌が創られました。
「もじおもい、てのひらだして かきたれど もじかけずして なみだあふるる」
この人の生きざまから多くの人が今も学び続けています。

問合せ:教育政策課