くらし 【特集】あの日を忘れない 令和2年7月豪雨災害から5年(2)


市内には、令和2年7月豪雨災害の記憶を語り継ぎ、これからの人吉を担う「人」がたくさんいます。
大きな被害を乗り越え、前向きに歩み続ける4人に当時の記憶と、未来へ向かう思いを聞きました。


・人吉乳児保育園理事長兼園長 春木 顕(はるき あきら)さん
令和2年7月豪雨では、園のすぐ横を流れる胸川が氾濫。園舎と隣接する寺が浸水した。春木さんは川の脅威を再認識し、園長として防災の強化に取り組んでいる。
大雨時には保護者に対して、それぞれで安全を判断し、休園する「勇気ある行動」を呼びかけ。判断材料として、川の状況写真をメールで共有している。年1回、災害などを想定し、子どもを保護者に引き渡す訓練も実施。職員が所属クラスを明示した帽子をかぶり、スムーズに引き渡しやすくしたり、雨の日を想定してカッパを着て避難したり。毎回、訓練で出た課題の改善に心掛けている。避難を考える上で、子どもたちの心のケアも重視。避難した場所で子どもが落ち着けるよう、保護者から子どもが好きなお菓子を提供してもらい、職員の防災バッグに常備している。自分の経験談を子どもたちに話すことも重要な防災の一環だ。これからも防災意識の向上に尽力していく。


・永田村右衛門ROASTERY 尾方 えりさん
相良町に店舗を構える自家焙煎珈琲ネルドリップ専門店「永田村右衛門(ながたむらうえもん)ROASTERY」。令和2年7月豪雨で、店舗名の由来となった、明治22年創業の製材所「永田村右衛門商店」は浸水し廃業。尾方さんは、その製材所の一角でコーヒー豆を販売しながら珈琲店を開業予定だったが、オープン直前に水没した。被災後は泥かきに追われる日々。一度は開業を諦めかけたが奇跡的に流されなかった資料が心の支えとなった。鹿児島で珈琲店を営む叔父の後押しや、常連のお客さんからぜひ珈琲を続けてほしいとの要望を受け、家族がまた集えるような場所を残したいという一心で再始動を決意。2年間仮設店舗で営業と焙煎修行をしながら、廃虚化した実家を店舗兼住居に改装し令和4年4月にオープンした。
「復興する日常に寄り添えるお店でありたい」。心を込めて焙煎・抽出した珈琲が、復興半ばの地域に穏やかな時間を提供している。


・人吉高カヌー部OB 大瀬 航(こう)さん
「なぜ自分たちの時に」。当時人吉高カヌー部に所属し、高校3年生だった大瀬さん。コロナ禍で大会が全て中止になり悔しさを募らせていた中、令和2年7月豪雨が襲った。まちの浸水、泥まみれの艇庫、折れ曲がった愛艇を目の前にし、現実とは思えない光景に言葉を失った。練習が再開できるまでの間は、自主トレーニングやボランティアに尽力。泥かき作業では、地域の人からの「ありがとう」が大きな支えとなった。
この経験を通して、日々の生活や練習環境が「当たり前ではない」と強く感じた。「現在の部員は、新艇庫ができ、球磨川もある素晴らしい環境で練習できている。これを当たり前と思わず、感謝の気持ちをもって練習して欲しい」と大瀬さん。今年から小学校の教員として教壇に立っている。災害を知らない子どもたちへ、当時の感情や生活のありがたさを語り継ぎ、日々を大切に生きる意味を伝えたいと意気込む。


・一般社団法人らぞLABO代表理事 北 貴之(たかゆき)さん
豪雨災害で被災したつばめ交通(株)の専務・北さんは、復興の一翼になればと、令和2年10月に一般社団法人らぞLABOを設立。つばめ交通の交通・観光の運送事業と連携し、地域発展のためのイベント事業などを展開する。「人吉の魅力には自信がある。来てもらうまでが大切」。エンターテインメントの力で人吉に来てもらうきっかけをつくるため、令和3年にお笑いコンビ「ラランド」の事務所と協定を締結。「誰が伝えるか」を重視し、YouTubeなどで情報発信をしている。また、中川原公園と人吉城跡ふるさと歴史のひろば周辺で音楽フェスを計画中。単なるイベントではなく、地域経済の好循環や官民連携した持続可能な地域づくりを模索する。
「田舎でもやりたいことができることを、実際にやってみせて若者に伝えたい」。人吉の未来を担う人材育成につなげたい思いを持つ北さん。エンタメを通じた地方創生への挑戦は続く。