文化 都城島津伝承館だより

■本田久兼軍忠状(ほんだひさかねぐんちゅうじょう)(本田文書)
本史料は、鎌倉時代以降、島津家家臣である本田氏に伝来した軍忠状です。軍忠状とは、合戦における自らの功績を将軍に認めてもらうために提出する申請書で、本史料には、本田久兼と家来の功績や、それを証明する署名が記されています。
出陣した武士が恩賞を得るためには、まず自らの功績を記した軍忠状を指揮官に提出する必要がありました。さらに、指揮官から「承了」の証判を受けた軍忠状を幕府に提出し、将軍がその戦功を認める旨の感状を発給すると、所領などの恩賞を得ることができました。
南北朝時代後期に大隅国清水城(現在の霧島市清水)を本拠とした本田氏。天文17(1548)年、島津氏に攻められた本田董親(とうしん)が、姻戚関係にあった北郷家を頼って庄内に逃れ、子の親豊(ちかとよ)の代で北郷家家臣となりました。江戸時代に、本田氏の子孫といわれる本田市兵衛(いちべえ)が本史料を含む文書を都城島津家に献上し、本田文書として現在まで伝わっています。

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