くらし [特集]語りべ(1)

7月1日現在、
戦争を記憶している世代は、
市の全人口の4%を切っています。
体験者から直接、
戦争の話を聞くことができなくなる状況が
もう目の前まで迫っています。

20年以上前、
戦争の記憶を受け継ぐために、
「ヒトからモノへ」という考えが
全国に広まりました。

戦争に関する遺跡や遺品、
体験者の話を、
「モノ」として保存し、
後世へ受け継ぐ動き。

その動きは今、転換期を迎えています。
「モノとヒト」。
戦争の歴史を受け継ぐには、
「モノ」だけでなく、
「ヒト」の語りが必要です。

■消えゆく戦の証争人
終戦直後、GHQの政策により、多くの戦争に関する「モノ」が破壊され、姿を消していきました。また、80年もの長い年月の中で、各家庭に残る「モノ」も日々失われつつあります。さらに、追い打ちをかけるように減少し続ける戦争体験者である「ヒト」。戦争の証人である「モノ」と「ヒト」が消えゆく危機的な状況の中、動き出した「モノ」の保存。平成29年、出水市は鹿児島大学や出水市平和学習ガイドの会等と協同で戦争体験者の証言をまとめた『戦争体験談集』を刊行し、「モノ」の保存を行ってきました。一定数の「モノ」が保存された環境に住む私たちは、今後どのように戦争の歴史と向き合っていけばよいのでしょうか。戦争体験談集の製作に携わった鹿児島大学佐藤教授に話を伺いました。

◆Interview
鹿児島大学 佐藤宏之教授

◇戦争に学ぶ世代
「戦争の記憶は、私たちが触れる機会の多いもの、学校で教えられるもの、インターネットで検索できるものなどに絞り込まれ、露出度の低いもの、教科書に記述されないものは必然的に忘れられていきます。そして、当事者の物理的な消滅によって、それは「死んだ」記憶となります。平和の伝承が「ヒトからモノヘ」頼らざるを得ない状況下にある今、「モノ」が保存さえされていれば、私たちは戦争体験を継承していると果たしていえるのでしょうか。地域に残る戦争遺跡や戦争体験のすべてをまるごと保全したからといって、必ずしもそれが未来に継承されるわけではありません。むしろ、人びとの日々の生活において有益なものとして活用できて初めて継承したといえるのではないでしょうか。戦争の記憶は、単に過去を知るためのものばかりではありません。私たちに未来への責任、すなわち、『戦争を繰り返さない責任』『戦争を記録する責任』『戦争を未来に伝える責任』を自覚させてくれるものです。その記憶のかたちを選択する責任が、現代を生きる私たちにはあります。戦争を体験していない私たちは、『戦争に学ぶ世代』であることを自覚するべきです。」

「『モノ』が保存さえされていれば私たちは戦争体験を継承していると果たしていえるのでしょうか。」この佐藤教授の問いをあなたはどのように考えましたか。確かに「モノ」は自ら戦争を語ることはなく、展示をしてもそれを目にする人は限定的です。「ヒトからモノ」という「モノ」に重点を置いた時代を終える時が既にきています。これまで保存してきた「モノ」を使いながら「ヒト」が戦争を語る、語り合う、「モノとヒト」という取り組みが今後重要となってきます。ここでは「モノ」「モノとヒト」に分けて、3つの戦争の記憶をご紹介します。

◆モノ
◇叶えた夢、散った夢
漫画と飛行機が好きだった山崎祐則さん。旧制中学校時代に友人と漫画研究会をつくるほど絵を描くことに夢中でした。描かれる漫画には飛行機を題材にしたものが多かったようです。それは「空を飛びたい」という夢への憧れが詰まっていました。その夢は16歳の時、海軍の「少年飛行兵」へ志願し、叶えることができました。入隊後も時間を見つけ大好きな漫画を描き続けた山崎さんのもうひとつの夢。それは漫画家になること。しかし、1945年3月、もうひとつの夢を叶える前に特攻で19年の生涯に幕を閉じました。戦争さえなければ。そう思うのが一般的ですが、戦争により夢をひとつ叶えることができた山崎さんは当時どのような心情だったのか。