- 発行日 :
- 自治体名 : 鹿児島県指宿市
- 広報紙名 : 広報いぶすき 2025年7月号
■市史編さんの調査がスタート!
今回は古代部会を紹介します。古代部会では新たな指宿市史に反映させたい大きな検討テーマがあります。それは、「紫(むらさき)コラは、本当に貞観16年(874年)の開聞岳の噴火の堆積物なのか?」というテーマです。
紫コラは、貞観16年3月4日の開聞岳の噴火による火山噴出物と考えられていますが、本当にそうであるのか、古代部会では活発に議論が行われています。
◇コラって何?
コラは、亀の甲羅のように硬いことから、「甲羅…こうら…コオラ…コラ」と呼ばれるようになったといわれる開聞岳の噴火によってできた地層です。コラはとても固く、長らく農業の障害になってきました。
〔解説1〕
なぜ、研究者たちは紫コラの年代にこだわるのか?
7世紀後半から9世紀前半(奈良時代から平安時代)の時期は、日本の歴史記録に隼人と呼ばれる人々が登場する時期です。9世紀後半の開聞岳噴出物とされる紫コラの直下には、隼人と呼ばれる人々の生活の様子を知る手掛かりが残されています。そのため、紫コラの噴火年代は、日本という国が形づくられていき、南九州の歴史的展開を考えるうえで重要な意義を持つ研究テーマとなるのです。
もし、開聞岳の噴火が貞観16年ではなかったとしたら、平安時代の南九州の歴史の見方に影響がでてきてしまいます。
〔解説2〕
なぜ、これまで紫コラは貞観16年の開聞岳の噴火によりできたとされてきたか。
(1)平安時代に編さんされた歴史書『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)』に開聞岳の噴火記事が記されていること(文献資料)
(2)文献に記された火山災害の様子と発掘調査で確認された内容が類似していたこと(考古資料)
〔解説3〕
なぜ、貞観16年とされた開聞岳の噴火の年代について疑問点が出てきたのか。
開聞岳の噴火が貞観16年であれば、この紫コラの直下には貞観16年頃の遺物が埋もれているはずです。しかし、橋牟礼川遺跡の紫コラ直下から発見された出土遺物は、貞観16年から100年くらい前の物ばかりで貞観16年頃の遺物は発見されていません。
この文献資料の『日本三代実録』と考古資料の橋牟礼川遺跡の出土遺物の年代の矛盾について、当時、橋牟礼川遺跡の発掘調査に携わった市学芸員は「将来、紫コラによって直接埋没した遺構群が発見されれば、より高い精度で年代が割り出せる」と考えていました。しかし、近年の発掘調査で、紫コラによって直接埋没した建物などが発見されましたが、貞観16年頃の遺物は1点も発見されていません。このような背景から、紫コラと開聞岳の貞観16年の噴火について再検証する必要があり、この検討テーマが生まれたのです。
古代部会ではこの検討テーマを整理するため、議論を重ね、結果を新たな市史に反映できるよう取り組んでいます。市のシンボルでもある開聞岳を巡る歴史の謎がどのような終着を迎えるのか、令和10年度の市史の完成を楽しみにお待ちください。
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