文化 薩摩スチューデント渡欧160周年記念「れいめいの風」

■薩英戦争で捕虜となった五代と松木 その後どうなった?
薩英戦争が勃発すると、英国艦隊は交渉を有利に進めるために鹿児島湾の重富沖に泊めていた薩摩藩の蒸気船3隻を拿捕し、火をつけて沈めてしまいます。この時に薩摩藩士の五代才助(後の友厚)と松木弘安(後の寺島宗則)は、捕虜となり拘禁されました。二人は、薩英戦争以前に海外渡航を経験し、西洋事情に精通していたこともあり、スパイ容疑がかけられ、薩摩藩と幕府から追われる身となってしまいます。
捕虜となり、二人は英国艦隊の船内で通訳として乗船していた清水卯三郎という人物に出会います。清水は武蔵国羽生村(現在の埼玉県羽生市)出身の商人で、松木とは横浜で通訳・立石得十郎から英語を共に学んだ間柄で、驚きの再会でした。
捕虜になったことに責任を感じていた松木は、幕府に出頭することを清水に相談しますが、松木が処罰されることを案じた清水は、交流のあった米国人商人リードを通じて、英国艦隊司令長官のクーパー提督に二人の釈放を要請します。
無事に釈放された二人は、清水とともに江戸を経て武蔵国へ向かい、下奈良村(現在の埼玉県熊谷市)の清水の親戚宅で潜伏生活を送ります。しかし、五代はしばらくすると西へ下り、長崎のグラバーもとへ向かいます。その後、五代は薩摩藩庁へ一連の行為に対する詫び状を添え、海外留学生派遣事業に対する具体的提案を書いた上申書を提出したことで帰藩が許されます。
一方、松木は潜伏生活を続けていましたが、清水が「寺島を処罰しない」という約束を藩から取り付け、帰藩が叶います。英国への留学生派遣事業を計画していた薩摩藩は、海外事情に長けている二人を必要としていました。帰藩後、二人は薩摩藩英国留学生の視察員として渡英することになります。

薩摩藩英国留学生記念館 スタッフ 峯元雅代
参考文献:歴史に隠された大商人 清水卯三郎 今井博昭

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