- 発行日 :
- 自治体名 : 青森県田舎館村
- 広報紙名 : 広報いなかだて 令和7年10月(第836号)
朝晩の空気が少しずつひんやりと感じられるようになり、秋の訪れを感じる季節になりました。秋といえば「読書の秋」。本と向き合うにはぴったりの季節です。
「最近、本を読む時間がないな…」、「何を読めばいいかわからない」という方に向けて、この秋おすすめの本を紹介します。
■1 『日本の思想』
丸山真男/著
岩波新書
2025年の今年は戦後80年という節目にあたり、各メディアでも戦後80年特集が組まれている。1914年に生まれ、奇しくも1996年8月15日終戦の日に鬼籍に入られた著者は、戦後日本を代表する政治学者・言論人として学会や論壇を問わず、幅広い世代に影響を与えた人物である。1961年に上梓された本書は、2つの論文体と2つの講演体に構成され、それぞれが別々の媒体で発表されたものがまとめられている。
従軍経験のある著者は本書において、明治憲法下では決断主体(責任の帰属)を明確化することを避け、もちつもたれつの曖昧な行為連関を好む行動様式が作用していること。日本における学問・文化・社会の組織形態をタコツボ型と表現し、根底に共通の文化や思想がなくそれぞれが閉鎖的であること。また自由や権利、民主主義は、その理念や制度に安住するのではなく、絶えず行使し批判検討することで、はじめて生きたものになり得ることを指摘する。これらは、終戦翌年の1946年に著者が「超国家主義の論理と心理」において、日本には西欧近代国家における公/私の対概念がなく私的領域が存在しないと論じたこととも関連する。
この問題意識は、著者に師事した小室直樹や独自の分析で日本社会を論じた山本七平にも継承され、戦後80年が経った現在にも通じるだろう。つまり、専門性や公共心のない専門家・組織人による損得(エゴ)や忖度にまみれた振る舞いが跋扈(ばっこ)し、思考停止による空気の支配がそれを支えるという構図である。もし組織の意思決定に関わる人間が、自身の知識・思考力・想像力・判断力の欠如に無自覚で、自らの行為結果に対して無関心であれば、事態はより深刻になる。まさに、あらゆる組織に今も見出すことが出来る宿痾(しゅくあ)である。一方で、著者の分析に対する批判も少なくはない。ただ、戦中・戦後に思考した内容等を後知恵的に批判するだけでなく、「もし自分が丸山の時代に生まれていたら何がいえたか」という観点がより重要だろう。
「歴史は繰り返す。一度目は悲劇、二度目は喜劇」という有名な言葉があるが、同じ轍を踏まないためにこそ歴史を学ぶ意義があり、古典はその格好の教材である。今や古典の域に達した本書は、「戦後」について考える際にお薦めしたい一冊である。
■2 『反解釈』
スーザン・ソンタグ/著
筑摩書房
「この作品には、こんな内容が隠されている」「何気ないこのシーンは、実はこんなことを表している」「作品の裏に隠れている意味を掘り出すことこそが作品を理解すること、真の価値だ」そう考えたり、聞いたことはないだろうか。
本書の表題作「反解釈」は、芸術は何かを言っているという前提で、ありもしない意味まで抉り出そうとする「解釈」を捨て、作品の表面、つまり作品そのものを感受することを説いたエッセイである。著者の物言いはなかなかに辛辣で痛快で鮮明である。「解釈とは芸術を思想に、もっと始末が悪いと文化に吸収せしめる行為である」とし、「俗物根性」「芸術の汚染」と切って捨てる。
「本物の芸術はわれわれの神経を不安にする力をもっている。だから、芸術作品をその内容に切りつめた上で、”それ”を解釈することによって、ひとは芸術作品を飼い慣らす。解釈は芸術を手に負えるもの、気安いものにする。」(「反解釈」より)
古代ギリシャの時代から、芸術は「形式」と「内容」に分けられ、必ず意味があるもの、解釈するものという前提に立ってきた。「AとはBである」「CにはDが隠れている」と言い換えることによって理解したつもりになる。本来、絵を描くことの理由は絵を描きたいからで、音楽をすることの理由は音楽をしたいからである。それ以外のなにものでもない。解釈されることを作者が意図していたとしても、われわれが感受すべきはそうした内容を内包した作品自体の存在性である。
「すでにそこにある以上の内容を作品からしぼり出すことではない。われわれのなすべきことは、ものを見ることができるように、内容を切り詰めることである。」(同)
本書が世に出て60余年。芸術とは内容よりも形式を感受するものということは今更言うまでもないが、彼女が打ち出した芸術に対するこのマニフェストを通して、改めて芸術あるいは創作について整理するという意味でも読んでみてはいかがだろうか。あるものがまさにそのものであるということ。それさえわかっていれば、芸術に限らず、ロックだろうが演歌だろうが童話だろうがSF小説だろうがハリウッドだろうがニチアサだろうが、よりクリアで感覚的で素直な体験になるはずだ。」
