- 発行日 :
- 自治体名 : 東京都千代田区
- 広報紙名 : 広報千代田 令和7年(2025年)8月5日号No.1645
■ここにあった!江戸城大奥
江戸城本丸御殿の最奥部にあたる大奥は、現在の皇居東御苑内で天守台を囲むように配置されていました。その中で、江戸城の主要な機能は本丸御殿に集中して置かれていましたが、政務が行われたり、将軍と諸大名が謁見したりする公的な空間(表)と、将軍とその家族が生活する私的な空間(奥[中奥・大奥])は厳密に分けられていました。主に将軍の生活空間が中奥、御台所(みだいどころ)ら女性たちの生活空間が大奥と呼ばれ、大奥で給仕として働く女性たちは奥女中と呼ばれました。
◇大奥でも神田祭を見ていた!
「ここに注目!」
(日比谷図書文化館 文化財事務室学芸員 山田さん)
現在、5月上旬に開催されている神田祭は、旧暦9月15日に行われていました。明治になり新暦(太陽暦)が導入されると9月は台風シーズンに重なることから5月に変更され、現在に至っています。神田祭と日枝神社山王祭は、行列が江戸城に入ることが許され、将軍も上覧した「天下祭」。大奥の人々も山車を間近で見たのでしょう。
「千代田の大奥」には、山車の順番が1番の大伝馬町と、2番の南伝馬町の幟が描かれています。大伝馬町の山車は「諫鼓鶏(かんこどり)」と言い、南伝馬町の山車は「猿と岩」と言います。続く山車人形は3番旅籠町の「翁人形」です。
◇大奥のお月見
8月15日は中秋の名月(十五夜)と呼ばれ、江戸城でも月見が行われました。すすきの穂や季節の果物、くり、だんごなどを供えて月をめでる様子が描かれています。
◇大奥でも犬を飼っていた!
狆(ちん)は日本で飼育改良された固有の犬種で、将軍や大名のペットとして飼われていました。画面には薬玉でじゃれ合う2匹の狆が描かれています。
◇大奥のお風呂事情
御台所は毎朝必ず風呂に入る習慣があったといいます。現在の風呂釜はお湯を沸かしてそのまま入浴しますが、当時、御台所は御休息之間(※)の湯殿で入浴したため、毎回別の部屋で湯を沸かし、女中が担いで湯殿に運びました。画面の右下(本紙参照)の御小姓(おこしょう)は団扇(うちわ)で風を送っています。
※江戸時代の大奥や将軍の御殿で将軍が休息するための部屋。特に「中奥」や「大奥」と呼ばれる空間の中で、将軍が日常生活を送る場所の一つとして設けられていた
◇大奥のプライベートガーデン?!吹上御庭
皇居の西側には、今もその大部分が森林となっている吹上御苑と呼ばれる場所があります。吹上は、明暦3(1657)年の大火までは御三家などの武家屋敷が建ち並んでいました。大火後、武家屋敷が江戸城外に移転して火除地(ひよりち)となり、庭園として整備されて吹上御庭(おんにわ)と呼ばれるようになりました。庭内には花壇や馬場、茶屋などが置かれ、将軍らによる祭りや武術の上覧が行われたほか、花見などの行事の場としても利用されました。明治維新後、江戸城が皇居になると「吹上御苑」となり、今に至っています。
「千代田の大奥」には、吹上御庭が舞台の作品が複数あります。簡単に城外に出られなかった大奥の女性たちは、ここで季節の移ろいを楽しんだのでしょう。
◇大奥の七夕
7月7日は七夕の節句で、大名らは江戸城に登城し、将軍に謁見しました。大奥ではすいかや桃、うり、菓子などを供えてその四隅に笹を立て、しめ縄を張りました。現在も短冊に願いごとを書きますが、江戸時代には詠んだ歌を短冊に書いて竹に飾りました。
◇大忙しのお正月
お正月は1年間のうちで江戸城内が最も慌ただしくなる時期といっても過言ではないでしょう。江戸城では正月元旦から3日間、諸大名や旗本が登城して将軍に謁見し、新年の挨拶をする「年頭御祝儀(年頭御礼)」が行われました。参勤交代で江戸藩邸にいる大名たちが行列を組んで一斉に江戸城に向かう光景は、江戸の庶民にとって正月の風物詩だったと考えられます。大奥でも儀式や挨拶まわり、祝宴などが行われました。元旦には、さまざまな行事や5回の御召替え(着替え)があったため、決まった時間に食事をとることができず、昼食ではなく「二度目の御飯」、夕食ではなく「三度目の御飯」と呼ばれました。
「「千代田の大奥」の中でも、お正月に関わるテーマは多いんですよ」
(日比谷図書文化館 文化財事務室学芸員 篠原さん)