文化 連載 ざま歴史再発見

■座間に残された近代測量の足跡
明治維新後、近代国家への道を歩み始めた日本は、正確な測量地図の作成に乗り出しました。近代的な実測図の作成を「国家的ノ大事業」とうたう政府の姿勢は、座間に残された明治末年当時の公文書からもうかがえますが、そうした測量事業の中核となったのが、基線の両端を基準として測定対象の角度を割り出す三角測量という方法でした。現在も市内ひばりが丘1丁目に残る相模野基線南端点の石柱は、この三角測量調査の際に設置されたものです。
こうした背景の下で、当時の座間周辺には地理観測の研究拠点も作られました。最先端の実験施設を備え、全長110mを占めた相模野基線尺試験室(現相模原市南区付近)は、その代表例です。測量器具の比較検討とともに、関東大震災の地形変動に関する研究も行われたようです。
市内周辺の測量地点には、このほかにも北端点(相模原市南区麻溝台)と中間点(市内相模が丘2丁目)が存在します。全地球的測位システム(GPS)が実現するはるか以前に、地道な測量作業を積み上げていった先人たちの営みを、現地に立って体感してみてはいかがでしょうか。

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