文化 市長のよもやま話Vol.42茶谷義隆

■戦後80年が経過し
先月、七尾市戦没者慰霊式と追悼法要が行われました。先の大戦が終り、80年が過ぎようとしています。戦争を体験した方も少なくなり、戦争の悲惨さや戦災の教訓を後世に伝えることが難しくなっています。
私自身も子供のころ、祖母や曽祖母から戦時中の満州での生活や引き上げてきた時の様子、物のない時代の話などをよく聞きました。
能登半島地震から1年半が経過しましたが、現在の震災体験と80年前の戦後日本が体験した状況を比較してみたとき、どうなのだろうと思いました。
終戦直後の日本は、焦土と化し、多くの人々が住む家を失い、食料もままならない状況にあったと聞きます。未来への希望が見えにくい中で、人々はただ生き抜くことに必死だったと思います。街に闇市が立ち並ぶ中、人々は知恵を絞り、助け合いながら、少しずつ復興への道を歩み始めたのではないかと考えます。
一方、能登半島地震では、美しかったまちや家屋が倒壊し、道路は寸断され、多くの人々が大切なものを失いました。歴史と文化が息づく地域が甚大な被害を受け、断水や停電、避難所生活を余儀なくされた方も多く、身体的にも精神的にも大きな負担を強いられました。
そのどちらにも共通するものがあり、それは、人々の助け合いの精神と、復興への強い意志ではないかと思います。戦後においては、焼け野原から立ち上がり、個人の努力はもちろんのこと、地域社会、そして国全体が一体となって困難に立ち向かった結果、日本は奇跡的な復興を遂げました。
能登半島地震においても、全国から多くのボランティアが駆けつけ、物資が届けられ、温かい支援の手が差し伸べられています。被災地の住民も、互いに励まし助け合いながら、少しずつ日常を取り戻そうと努力しています。
戦後80年が教えてくれるのは、いかに悲惨な状況であっても、人は必ず立ち上がることができるということではないかと思いました。
能登の復興は、まだ始まったばかりで、その道のりは決して平坦ではありませんが、私たちは、戦後の復興を成し遂げた先人たちの知恵や経験から学び、人々の温かいつながりを胸に、能登が再び美しい姿を取り戻すことができると信じています。