しごと [連載]未来を懸命に志す県民インタビュー 山梨懸人

■障害を特別なものにしない社会に
KEIPE(ケイプ)株式会社 代表取締役
赤池侑馬
大学卒業後、教師になるが1年でIT企業に転職。
海外で新規事業の立ち上げにも携わった。
20代を疾走した男性が、ふるさと山梨に戻り、障害者就労支援事業所を運営している。
未来に向け、懸命に生きる県民を紹介する連載・山梨懸人。
障害を特別なものにせず、「誰もがそこに居ていい社会」をビジョンに掲げる。
障害者支援に自然体で向き合う男性の半生の物語。

◇大切な兄の存在
ある日、家出したはずの3歳上の兄がこっそり自宅に帰ってきた。当時、小学生だった赤池侑馬さんは、笑顔で兄を迎え入れた。
「中学生だった兄は、酒にタバコ、ケンカと、大人たちから見ると非行少年でした。でも、僕の視点は違っていた。兄は頭もよかったし、運動もできた。何より、本当はすごくピュアな心を持っていた」
そんな兄が、バイクで事故を起こした。およそ2週間、意識が戻らない日が続いた。ようやく目を覚ました兄には、障害が残った。
「それからは、家族がぐちゃぐちゃになりましたね」
16年近く、兄の療養生活は続いた。赤池さんは、以前に兄が漏らした言葉を思い出した。
「侑馬みたいな先生がいたらよかったのに」
2013年、赤池さんは千葉大学を卒業し、教師となった。
ところが、教鞭(きょうべん)をとるうちに「40歳までに稼いで自分の理想の学校をつくりたい」と思うようになり、1年で教員を辞した。その後、起業について学ぶため、IT系ベンチャー企業に転職した。
それからは、怒涛(どとう)の日々を過ごした。平日昼間は会社の業務をこなし、夜は多くの起業家らと会食、土日は副業で訪問販売の仕事も始めた。2015年には、新規事業立ち上げのためにタイにも赴任した。忙しさのあまり「40歳で学校」の夢は忘れつつあった。

◇長所に光を当てて
「障害者就労支援事業を始めないか」ー忙しい毎日を送る中、そんな声がかかった。
「ふと、兄のことを思い出したんです。まるで、導かれているような気がしました」
2017年には別の事業を続けながら、自身で障害者就労支援事業を故郷の山梨県で立ち上げた。現在のKEIPEだ。
しかし、創業1年目で赤池さんに大きな壁が立ちはだかる。
「どんどん人がやめてしまって。当時の離職率は83%でした」
売上も芳しくなかった。「障害者施設だから」と、相場より安く発注する会社もあった。
赤池さんは、そんな世間の風潮をなんとかしたいと一層仕事に奔走した。しかし、暗転する事態が起きた。激しい胸の痛み。動くことも困難になり、救急外来を受診した。
「結核でした。それも、かなり悪い状態で……」
それからは、1カ月半の入院と1年の療養生活を余儀なくされた。
しかし、この体験が自分の人生を見つめ直すきっかけとなった。
「今後は自分がやりたいことに注力しようと思ったんです。それは、兄のような人に、仕事を通じて社会復帰してもらうこと。つまり、KEIPEの活動だったんです」
退院後、赤池さんは従業員を前に「障害を特別なものにせず、誰もがそこに居ていい社会にしたい」と涙ながらに思いを伝えた。
2025年現在、KEIPEは飲食・商社事業にも裾野を広げ、年商10億に届く勢いだ。グループ全体で約140人のスタッフが働き、障害を持つ人は90人ほどいる。データ入力、デザイン、飲食店勤務など、能力や希望に応じて多様な業務に携わってもらっている。
KEIPEの特色は、地域との関わりを大切にしている点だ。事業所も街の中心に置いた。そこで働く障害者の送迎もあえてしない。一緒に働く仲間として、会社にも街にも溶け込んでもらいたいと願っている。
「KEIPEは、カンパニーではなくてコミュニティ」。そんな言葉に、赤池さんの障害者支援に対する価値観がにじむ。
「実は、会社を立ち上げたころから、兄も回復しはじめたんです」
現在は5人の子どもを育てるお父さんだという。
「やっぱり、僕が見ていた〝ピュア〞な兄が本当の姿だった。だから、KEIPEは長所に光を当てる場所でありたい」
赤池さんは力強く語った。

◆ここがヒント
障害者就労支援は、障害や病気のために一般企業や事業所での就労が困難な人々を対象とした支援。一般的に、「就労継続支援A型・B型」と呼ばれる。A型は事業所と雇用契約を結んだ上で働き、B型は雇用契約を結ばず、障害や体調にあわせて自分のペースで働きながら、就労に必要なスキルなどを習得する。

◆HISTORY
1990 中巨摩郡昭和町生まれ
2013 千葉大学教育学部卒業後、教師に
2014 ベンチャー企業に転職
2017 KEIPE株式会社を創業
2018 結核を発症し、1年間の療養生活。退院後、「KEIPEを主軸に活動していこう」と誓う