- 発行日 :
- 自治体名 : 京都府京丹後市
- 広報紙名 : 広報京丹後 2025年10月号(第259号)
■人や物を運び続けて1世紀―丹後を支えてきた鉄道特集(2号連続掲載)
今年11月3日、京都丹後鉄道の峰山駅と京丹後大宮駅が開業して100年になります。
全国各地に続く鉄道は、丹後の暮らしや産業だけにとどまらず、多くの夢や希望も乗せて走ってきました。
曾祖父母の時代から毎日走り続けてきた丹後の鉄道。
100周年を記念して、10・11月号連続で特集します。
■地域発展の夢を乗せて
日本初の鉄道が、1872(明治5)年に東京の新橋から横浜間で開通したことをきっかけに、丹後の人々にとって鉄道敷設は悲願の夢でした。それから明治・大正期と戦争や恐慌などで幾度の計画頓挫を経ながら、有志の活発な活動などによりついに1918(大正7)年、帝国議会で丹後鉄道の建設が決定。日本初の鉄道開通から53年後の1925(大14)年11月3日、日本国有鉄道(国鉄)宮津線の峰山駅と口大野駅(現京丹後大宮駅)が開業し、一番列車の蒸気機関車を多くの地元民が盛大に迎えました。
当時、雪深い丹後半島の地域発展に交通インフラの整備は大きな願いであり、また欠かせないものでした。鉄道開通は、織物や米、海産物などの流通活性化に大きく貢献し、旅客(ひと)や貨物(もの)だけでなく丹後の振興や勃興への願いも運び続けてきました。
■逆境乗り越えてきた鉄道
鉄道は、太平洋戦争後の復興から高度経済成長期にかけて、住民や観光客の移動手段、また、駅を拠点とした物流の結節点として大きな使命を果たしてきました。しかし、昭和後期の国有企業民営化の時代の流れの中で、業績の悪い赤字路線は段階的に廃止やバスへと転換を迫られ、それは丹後地域の鉄道にも及びます。当時、16万人以上の路線継続の署名も空しく、国鉄宮津線は廃線が決定しました。
その後、沿線自治体が対策協議会(※1)を組織して継続に向けあらゆる手段を模索。第三セクター方式(※2)で運営を移行し、1989(平成元)年、北近畿タンゴ鉄道として鉄路は守られました。その際各駅舎がリニューアルされ、丹後大宮駅は、小野小町に代表される平安朝風の建物に。峰山駅は、丹後ちりめん創業の地として機織り機をイメージしたデザインの建物となり、今も多くの人々に愛されています。
しかし、沿線市町の人口減少や高速道路の整備、114キロに及ぶ長大線路の運行維持経費の増加などにより、2013(平25)年には、年間の輸送人数がピーク時の6割(186万人)まで減少。そこで、鉄道事業を見直し上下分離方式(※3)を導入。北近畿タンゴ鉄道の経営はWILLER(ウィラー)TRAINS(トレインズ)が担う形で、2015(平27)年、京都丹後鉄道として新たなスタートを切り、現在へと続きます。
(次ページは写真と年表)
※1 宮津線特定地方交通線対策協議会
※2 国や地方公共団体(第一セクター)と民間企業(第二セクター)が共同で出資・設立した法人
※3 列車の運行・運営(上部)とインフラの保有・保管(下部)を別々に担当する仕組み
▽特急あさしお
運行期間1972~1996年
京都駅発着の特急列車。当初は食堂車も連結していた。山陰本線、舞鶴線を経由し、京都と丹後を直通で結んだ
▽特急タンゴ・エクスプローラー
運行期間1990~2011年
ハイデッカー車の特急列車。京都・大阪と丹後を直通で結び、次世代型の車両として多くの観光客やファンを魅了