くらし 副町長インタビュー(1)

今年4月1日付けで、三宅町の副町長に新たに吉弘拓生さんが就任しました。かつては福岡県うきは市役所で、地域活性化・産業振興・観光事業などに携わり、群馬県下仁田町役場で副町長を務め平成31年4月からは総務省の外郭団体である一般財団法人地域活性化センターで全国の地域活性化、とりわけその人材(住民・職員)育成に関わってこられました。今回、内閣府の「地方創生人材支援制度」による派遣により、三宅町に着任された吉弘副町長に、今までの経歴や三宅の印象についてお聞きしました。
インタビュアー:三宅町地域おこし協力隊 山川達也

■ラジオDJからまちづくりの世界へ
―かつてはラジオDJや森林組合の職員をされていたとお聞きしました。今のような仕事に取り組むことになったきっかけを教えてください。
私は福岡県久留米市出身です。大学1年生のときからラジオパーソナリティをやっていて、当時は3番組を持ってました。いわゆるDJで、音楽をかけてお便りを読んで、というラジオ番組ですね。その後、大学を卒業して、浮羽森林組合の職員になりました。昼は森林組合の職員で、夜にラジオをやっていました。実家が製材所で、小さい頃から木材と身近に暮らしてきましたが、祖父から木材の値段がどんどん下がっているというのは聞いていて、それが不思議に思っていたので森の活用法が別にあるんじゃないかと思っていました。健康にも観光にも繋がるような、新しい森づくりの形があるのではないかと思いその現場である森林組合に入りました。
森林セラピーを導入出来ないかと思い入庁しました。しかし現場では「木材は家にするためにある」とか、「森を人が歩くなんて考えられない」といった考えが多く簡単に受け入れてもらえませんでした。現場の皆さんの話を聞きながら、こういう可能性もありますよねという「対話」を続けていき、3年目ぐらいから「やってみよう」となったタイミングで、うきは市役所に出向になったんです。森林セラピーは、当時の市にとっても大きな目標になったので、その推進のために市の職員の方と、机を並べて仕事をしたのが公務の仕事としては最初ですね。そこには2年半在職し、その途中に市役所に転職しました。

■森林セラピーなどうきは市での取り組み
―うきは市の職員として、森林セラピーと共に取り組まれた事業を教えていただけますか。
うきは市は、バナナとパイナップル以外の果物が一年中収穫出来るフルーツ王国なんです。樹上完熟のフレッシュな状態で食べていただくっていうのが一つ。一方でうきは市には、白壁の町並みが残っているんです。そこで頑張っているお菓子職人さんやパン屋さんもたくさんいらっしゃって、地元の農家の皆さんと一緒にコラボできないかと考えました。そこで「スイーツandフルーツコレクション」というマッチングイベントを開催しました。今でこそ地産地消という考え方が一般にも浸透してきたかなと思うんですが、その頃はまだ地元以外の食材を使ったスイーツを作られているお店も多かった。折角地元にフルーツ畑があるのに接点がなく、そこを繋げるお手伝いなら役所で出来るんじゃないかなと思ったんですね。今では人口に占めるスイーツ店舗の割合が日本一になりました。そういう、人と人を繋いで、それが形になるのが好きです。同時に継続性ですね。それぞれがビジネスとして成立して、進化していくというのが大きな目標でした。役所では担当が変わると、事業が滞るということもあります。そうならない継続的な仕掛けというのは心がけていました。

―同時期にはJR九州の寝台列車「ななつ星in九州」に対する取り組みも行われています。こちらのきっかけはどのようなものだったのでしょうか。
2013年頃だったと思います。「どうやら豪華寝台列車が走るらしい」という話があって、九州内の自治体では誘致合戦が行われていたんです。例えば「うちの特産品を使ってください」などです。しかし、うきは市は財源が少なく、大都市との競走には敵いません。その中で何かできないか住民の皆さんとお話する中で、市内の保育所の先生が、「卒園する園児たちの思い出づくりをしたい」という話になり、「みんなでななつ星in九州に手をふりませんか」となったんです。やり始めた当初はただ列車が通過してたんですけど、続けるうちに乗務員の判断で、その場所でブレーキをかけ徐行してくれるようにになっていって。最後にはうきは駅に列車が停車。うきはのフルーツをデザートとして出したいって言ってくれたんです。それが今も続いているんですね。