くらし 〜高取で頑張る『高取人』〜「阿波野青畝」7番目の句碑お披露目会

■〜写生俳句の達人〜
塔(とう)見(み)えて 躑躅(つつじ)燃(も)えたつ 山路(やまじ)かな

皆さんは、本町が生んだ写生俳句の達人・阿波野青畝をご存じですか。
阿波野青畝は上子島大字に生まれた俳人で、彼の7番目の句碑が昨年末壷阪寺に建立され、5月22日に句碑お披露目会が行われました。
今月は、句碑の建立に尽力された「たかとり観光ボランティアガイドの会」や「ふるさとを学ぶつどい」の皆さん、お披露目会の様子を取材するとともに、阿波野青畝の歴史やその句碑についてご紹介します。

◇青畝と高取町
明治32年に上子島大字で生まれた青畝の本格的な俳句活動は、後の旧制・畝傍中学校に在学中の頃から始まります。
この頃、本町について奈良盆地を指す「国原」という古語を用いて「国原の南の隅に高取という古町がある。それが私の生まれた町である」と記しています。青畝は、豊かな自然に囲まれた故郷の景色をこよなく愛し「うすいもやの空気の下におだやかに横たわった大和の平原は、大和を故郷としない人にでもなつかしまれている」とさえ語っています。
さらに、生活の拠点を町外に移した後も、西宮の住まいを「かつらぎ庵」と名付け、その命名の由来となった故郷の西に見える葛城山について、青畝は「今も心の、生活の象徴になっている」と述べるとともに、望郷の句を多く詠んでいます。
このように、記憶は故郷を離れてからも青畝の心の底にあり続けたことが伺えます。

◇お披露目会の様子
句碑建立者・壷阪寺の他、俳句結社「かつらぎ」や「たかむち句会」といった俳句関係者等、約20名が参加したお披露目会。
壷阪寺執事・喜多さんによる読経の後、俳句結社「かつらぎ」主宰の森田さんが、今回お披露目された「塔見(とうみ)えて躑躅燃(つつじも)えたつ山路(やまじ)かな」の句の解説を行いました。
青畝が若かりし頃に詠んだ句に感心しながら、その解説に聞き入る皆さんでした。

◇「たかとり観光ボランティアガイドの会」「ふるさとを学ぶつどい」代表の河合さんより
「高取町を活性化させたい」との思いから、今回の句碑の建立を企画しました。壷阪寺を巡るコースを観光する人が多いので、より観光客の皆さんの満足度を高める一助になることを期待しています。
また同時に、素晴らしい偉人が本町に存在したことを住民の皆さんに知っていただき、故郷の魅力を再認識するきっかけになれば幸いです。

■青畝の句碑
青畝の句碑は全国にあり、今回披露されたものは83個目になります。その内本町には、今回お披露目されたもの以外に、次の句碑があります。

(1)「供藷(そなえいも) 眼耳鼻舌身(げんじびっせんみ) 意も無しと(いもなしと)」
長円寺、昭和43年建立
(2)「葛城(かつらぎ)の 山懐(やまふところ)に 寝釈迦(ねじゃか)かな」
高取中学校、昭和44年建立
※平成16年、高取中央公園に移動
(3)「虫の灯に(むしのひに) 読み昂ぶりぬ(よみたかぶりぬ) 耳しひ児(みみしひご)」
青畝生家、昭和60年建立
(4)「満山の(まんざんの) つぼみのまゝの 躑躅(つつじ)かな」
上子島砂防公園、平成11年建立
(5)「飯(めし)にせむ 梅も亭午(ていご)と なりにけり」
夢創舘、平成12年建立
(6)「国原(くにはら)や 桑(くわ)のしもとに 春の月」
青畝文学館、令和4年建立