- 発行日 :
- 自治体名 : 奈良県吉野町
- 広報紙名 : 広報よしの 2025年8月号 No.1041
◇「近所のおじいさん」だからこそ
教室には、中さんの近所に住む子どもが居た。その児童は中さんを知らなかったが、中さんは少し脱線してその子のバス通学を見守っていることを話した。
話し手と聞き手の心の距離が遠ければ、少し冷めた心で受け取ってしまう。しかし、香束、あるいは吉野町という同じコミュニティで関わりあって生きているおじいさんの体験に基づく言葉と思いは、対岸の火事ではなく、子どもたちの心に大きく響いたはずだ。
◇戦争は人生の破滅
子どもは世界で起こっている戦争や紛争を見て、どう感じているのだろうと中さんは呟く。
前述した、この中さんの授業の実現のきっかけを作った中上さんは、教室の後ろから授業を参観した。実際に体験した人が自ら語る思いや言葉ほど重いものはない。今回の中さんの言葉や思いは必ずや子どもたちの心深くに留まり、「戦争は二度と起こしてはならない」との思いに至るのでは。中上さんは元教員として、このように考えていた。
息子の義久さんは、書き溜めた証言を基に、父義次さんが当日話す内容を原稿としてあらかじめまとめ、話し手である父の目の前に置いていた。しかし、中さんはほとんど机上の原稿に目を落とすことなく、子どもたちひとりひとりをしっかり見つめ、中さん本人の言葉で語りかけていた。
実際に戦争を体験した人にしか分からない、戦争の残酷さ、惨めさがあると中さんは言う。戦後、原爆のことは誰にも言えなかった。しかし時間が経ち、少しずつ心境は変化していった。ただ、ヒロシマの記憶は80年間ずっと中さんの胸の中で、冷めないマグマのようにぐつぐつと伏在している。どれだけ時間が経ってもこの火熱が冷えることはない。
「戦争は人生の破滅」中さんはインタビューの中で、少しだけ語気を強めた。もう誰にもこんな思いを味わってほしくない。だからこそ、この80年分の思いを伝えなければならないと学校の門をくぐった。私たちが二度と過ちを繰り返さないために。
「あの原爆を知る人がこんな近くにいたのかと、驚きとある種の感激がありました。今の時代では戦争体験者の声は貴重です。これは子どもたちに届けなければならないという元教員としての責任を感じたんです。」
元吉野中学校長 中上睦男さん
「8月6日の原爆忌は全校登校日です」
吉野さくら学園 山田真路校長
平和学習は当事者意識を持つことが重要です。6年生は事前に原爆について調べ、「平和宣言」を作成し、全校生徒で折った折り鶴を携えて広島に向かいます。調べたことが本当か確かめに行くわけです。原爆の爪痕の本物に出会うことで、それが訴えかけてくるものをしっかりと学び、受け止めることで、平和を願う心が培われます。そして今回中さんの話を聞いて、当時も今と同じように人の生活があったことを実感したようです。この後、6年生が書いた作文に、これから自分たちが平和を形作っていくという決意が、しっかりとしたためられていました。
「吉野町遺族会を代表して平和学習を聴講しました」
遺族会 松尾敏一会長
戦争のことを思い出し、言葉にするのは苦しかったことと思いますが、子どもたちのために話してくださったことに感謝します。実際にその場にいた方の話は心を打つものがありました。
◆放送案内 CVY11チャンネル
「いま話す、80年前のヒロシマ」―中義次さんの原爆体験―
広報誌に載せきれなかった中さんのインタビューや平和学習の様子などを放送します。
放送日:8月15日(金)~17日(日)
※放送時間は本紙29ページをご覧ください。