- 発行日 :
- 自治体名 : 長崎県島原市
- 広報紙名 : 広報しまばら 令和7年11月号
「人生の達人」園田正弘(そのだまさひろ)さん(73)
昭和27年、大下町に生まれる。地元小・中学校を卒業後、島原農業高校で園芸を学び、家業の跡継ぎとして就農。ブドウ栽培と酪農を営んでいたが、雲仙・普賢岳噴火災害で避難生活を余儀なくされる。農業が出来なくなり、災害時に始めた新聞販売店を60歳過ぎまで営む。現在は趣味の園芸を楽しみながら「安中梅林を守り育てる会」の主要メンバーとして地域づくりやボランティア活動などに献身的に取り組んでいる。民生委員児童委員(H28~)、環境美化推進員(R3~)のほか、安中まちづくり協議会副会長なども務める。大下町在住。
■子どもたちが誇りを持てる故郷を
水無川導流堤内にある「われん川」。こんこんと湧く湧水は、かつて地域住民の生活用水として利用されていました。雲仙・普賢岳噴火災害で土砂に呑み込まれてしまいましたが、残った湧水や石垣などを災害遺構として保存し、遊歩道など周辺も整備され、現在は復興再生を遂げた安中地区のシンボルとして憩いの場となっています。
地域に親しまれるわれん川の保全管理に仲間とともに日々取り組んでいる園田正弘さん。「時間があれば草払いに行っています。広いですからね。朝は6時頃から1〜2時間ほど刈ります。」
島原農業高校で園芸を学んだ園田さん。その知識と経験が今の活動に生かされています。「以前、われん川の保全活動をする団体が彼岸花の植栽を行っていましたが、高齢化で会が解散した後は数年間放置されていました。雑草に覆われる状況をどうにかしようと、約7年前から安中地区の民生委員を中心に「われん川を守り育てる会」として活動を始めたんです。最初は草に埋もれた球根を探すことから始まりました。高校で園芸を学んだおかげで手入れのタイミングが分かるので作業の適期を逃さないよう指導役のような立場で参加しています。球根は残っていても手入れをしないときれいに咲き揃わないんです。」と、語ります。
■みんなの手で残りたい場所に
園田さんたちの活動は、われん川の彼岸花だけではなく、水無川導流堤沿いの安中梅林や桜の手入れも行っています。「民生委員の活動で中学3年生と交流をする機会がありますが、子どもたちから「島原に残りたい」、「島原を出たとしても故郷を自慢できる、誇れる場所を残していきたい」という意見がありました。とても嬉しく思ったのと同時に、改めて「やらんばいかん」と感じました。少しずつ新聞やテレビで紹介してもらえるようになってきましたが、今後も植栽の範囲を広げながら、全国とまではいかなくてもTHESCENEVol.96島原に生きる「人生の達人」そのだまさひろ園田正弘さん(73)昭和27年、大下町に生まれる。地元小・中学校を卒業後、島原農業高校で園芸を学び、家業の跡継ぎとして就農。ブドウ栽培と酪農を営んでいたが、雲仙・普賢岳噴火災害で避難生活を余儀なくされる。農業が出来なくなり、災害時に始めた新聞販売店を60歳過ぎまで営む。現在は趣味の園芸を楽しみながら「安中梅林を守り育てる会」の主要メンバーとして地域づくりやボランティア活動などに献身的に取り組んでいる。民生委員児童委員(H28~)、環境美化推進員(R3~)のほか、安中まちづくり協議会副会長なども務める。大下町在住。県内でも誇れるような場所になれるよう頑張っていきたいです。そして町内会をはじめ地域の皆さん、地元の子どもたちが関わっていくことで継続した活動として定着していってほしいと思っています。」と、展望を語ります。
趣味も園芸という園田さん。高校時代に始めた蘭の栽培は今も自宅敷地のハウスなどで続けています。また、現在は椿の盆栽に魅了され、展示会への出品や仲間との交流も深めているそうです。「災害後に高校の恩師から勧められて始めました。椿は接ぎ木が難しく、これが出来るようになればどんな樹木でも通用すると言われています。台木に接ぎ木をして4〜5年という短期間で完成するところが魅力です。奥深くてやればやるほど楽しくなります。」と、大好きな園芸の楽しさも笑顔で語っていただきました。
