くらし 八雲を知れば、熊本がもっと好きになる!(1)

本市ともゆかりの深い明治時代の作家・小泉八雲(=ラフカディオ・ハーン)。
彼の妻・セツをモデルにしたNHKの連続テレビ小説「ばけばけ」がいよいよ9月29日(月)から放送。
そこで今号では、知っているようで知らない八雲の世界をご紹介します。
知ればもっと、熊本が好きになるはず!

◆小泉八雲の代表作
▽怪談
耳なし芳一
雪女
ろくろ首

▽熊本ゆかりの作品
夏の日の夢(『東の国から』所収)
石仏(『東の国から』所収)
願望成就(『東の国から』所収)

◆八雲が歩んだ人生
・1850年
6月27日、ギリシャのレフカダ島で次男として生まれる。
父:アイルランド人英国陸軍軍医補のチャールズ・ブッシュ・ハーン
母:ギリシャ人のローザ・アントニア・カシマチ
・1866年
16歳のころ、回転ブランコで遊んでいたとき、ロープの結び目が左目に当たり失明。
・1874年
日刊新聞シンシナティ・インクワイアラー社の正式社員となる。
・1887年
ハーパー社の寄稿家として西インド諸島のマルティニーク島へ。
・1890年
急きょ日本に行くことを決意し、来日。
島根県松江尋常中学校の英語教師となる。
・1891年
身のまわりの世話をしてもらうため松江の士族・小泉湊の娘である小泉セツを雇う。松江市を出発し、熊本市へ移住。第五高等中学校(現在の熊本大学の前身校)の英語教師となる。
・1894年
五高の瑞邦館で『極東の将来』と題して講演。熊本の美徳「簡易・善良・素朴」を愛し、生活信条とし無用なぜいたくと浪費を憎む精神であると結んだ。熊本市を出発し、神戸市へ移住。
・1896年
帰化手続きが完了し、小泉八雲と改名。東京帝国大学文科大学の英文学講師に就任。
・1904年
早稲田大学講師に就任。代表作『怪談』を出版。
心臓発作により他界。享年54歳。

◆来日・来熊のきっかけ
英訳された『古事記』に描かれた、美しい日本に引かれて来日。古事記に「日本の始まりの場所」と記されている出雲から、日本での暮らしをスタートさせます。出雲で妻・セツとの出会いを果たした後、山陰の厳しい冬の寒さに耐えられず来熊。
第五高等中学校(現・熊本大学)の英語教師として、本市で3年間過ごしました。

◆八雲とセツが見た熊本の風景
熊本での暮らしや、日々、目にする景色からインスピレーションを得て生み出された作品もあります。
本を読んでゆかりの地を訪ねると、一層楽しめます。

(1)小泉八雲熊本旧居 (熊本市指定有形文化財)
熊本に来て、最初に住んだ家です。この家を借りるにあたって、ハーンは特別に注文して神棚を設けました。毎朝、神棚に拍手(かしわで)を打って拝礼し、人力車で学校に通うほど日本の心を深く愛していたそうです。
日本を世界に紹介した『知られぬ日本の面影』『東の国から』などの著書は熊本での生活から生み出されたものです。
住所:熊本市中央区安政町2-6
利用時間:午前9時半~午後4時半
定休日:月曜(祝日の場合は翌日)、12月29日~1月3日
※イベントに伴い、10月29日(水)、30日(木)、11月6日(木)は臨時休館。
※イベント期間中は、一般入場をお断りすることがあります。
入館料:大人・高校生200円、小・中学生100円、未就学児無料(本市在住の小・中学生、65歳以上の方は無料)

問い合わせ:文化財課
【電話】096-328-2740

(2)小峯墓地の石仏(3)五高記念館
熊本大学の裏、立田山の登り口にある小峯墓地に、ひっそりとたたずむ地蔵を八雲はとても気に入り、授業の合間やセツとの散歩でよく訪れていたそうです。『石仏』(『東の国から』所収)の舞台とされています。近くには、教鞭をとった第五高等中学校(現在の熊本大学の前身校)の校舎「五高記念館(国の重要文化財)」があります。

(4)本妙寺
『願望成就』(『東の国から』所収)に登場する本妙寺は、日清戦争前夜、加藤清正のご加護により「本妙寺にお参りすると弾に当たらない」と信じられ、多くの軍人が参詣していました。

(5)上熊本駅
日本人の心をとらえた作品『停車場にて』(『心』所収)の舞台です。実際に起きた巡査殺しの事件をもとに、福岡の刑務所から護送されてきた殺人犯と、殺された巡査の妻子が対面したのが池田駅(現在の上熊本駅)とされています。

※地図は本紙をご覧ください。