くらし 歴史文化資産の保存・活用を通して目指す(2)

◇関連文化財群・文化財保存活用区域に関する文化財の保存・活用の取り組み
歴史文化資産を一定のまとまりとして捉え、ストーリーとして扱うことで効果的な保存・活用に取り組むことができるものを「関連文化財群」、歴史文化資産が特定の地区に集中し、面的に保存・活用に取り組むことができるものを「文化財保存活用区域」として設定し、山形市の特徴的な歴史文化資産の保存・活用を効果的に推進します。

▽関連文化財群
〇独自の景観と信仰の山蔵王・瀧山
蔵王連峰は、樹氷や高山植物、温泉などにより独特の景観が形成され、それが山への崇拝へつながり、修験道が栄えました。瀧山も蔵王信仰を構成する一つで、麓に日本最古といわれる石鳥居が造立されています。

〇山寺立石寺と庶民信仰
立石寺は、平安時代に円仁が創建したとされる天台宗の寺院です。山寺の岩肌は浸食により数多くの洞穴や奇岩が形成され、独自の景観が形成されたことから霊場として信仰を集めました。江戸時代には、松尾芭蕉が立ち寄っています。

〇最上義光と山形のまちづくり
最上義光は山形城を整備し、金箔(きんぱく)瓦や石積みを導入するなど、近世城郭へ大規模に改修するとともに、城下町を整備し、商人町や職人町を形成しました。また、寺社の保護にも力を入れ、立石寺堂宇などを再建しました。

〇街道・舟運が紡いだ山形の文化
山形は政治経済の中心拠点であったことから、さまざまな街道が山形城下町を中心に集まっています。また、領内の港である船町は、最上川水運や日本海海運とつながり、ひな人形などの上方文化を伝える文化財が今も残されています。

〇白鷹山地から山麓の独自の文化
須川より西側の地域は、河岸段丘や扇状地が狭い範囲に混在する独特の自然環境を有しています。古墳の築造や平安時代の大曽根荘、江戸時代中期以降の堀田家の飛び地領など、独自の政治的空間が形成されました。

▽文化財保存活用区域
〇重層的な歴史を刻む中心市街地
中心市街地は、南北朝時代に斯波兼頼(ばかねより)が山形城を築城して以来、政治、経済の中心でした。江戸時代は城下町として栄え、明治時代以降は官庁街という要素も加わり発展しました。

問合せ:文化創造都市課
【電話】内線626