くらし [特集]県無形文化財指定 西の内紙(1)

◆紙の原料「楮(こうぞ)」の生産に適した市の気候
西の内紙は楮という植物を原料として作ります。茨城県北西部(常陸大宮市、大子町)は楮が好む寒暖差のある気候で、紙作りに適した質の楮が育ちやすい地域です。江戸時代、県北西部で育った楮は、栃木県を流れる鬼怒川を使って、江戸まで運ばれていたことから、「那須楮」と呼ばれ、県外にも広く流通していました。現在でも、ユネスコ無形文化遺産にも登録されている岐阜県の本美濃紙(ほんみのし)や、人間国宝がすく越前和紙の原料としても使われています。

◆江戸での紙需要から水戸藩随一の商品となった西の内紙
紙づくりは、奈良時代から行われていましたが、最も盛んに紙作りが行われるようになったのは、江戸時代になってからです。江戸の発展に伴い、紙の需要が莫大に増加したことで、品質の高い原料と紙すきの技術がそろった茨城県北部では、紙の増産を迫られました。生産・流通量が増加したことで、水戸藩でも随一の商品となり、農家が作物の取れない冬の時期の仕事として行っていました。

◆卒業証書や県民手帳にも使われている西の内紙
西の内紙は、市内小中学校・県内高校の卒業証書にも使われています。一部学校では、自分の卒業証書を自分の手ですく体験も行っています。また、茨城県民手帳の表紙としても使われており、毎年、茨城県を象徴する花などをテーマに、紙すき職人がデザイン考案から携わっています。他にも、御朱印帳や着物の帯を作成するための糸、講談師が使う張扇(はりせん)などにも使われ、県外からも需要がある西の内紙は、常陸大宮市が誇る特産品になっています。

◆濡れても乾かせばまた使える丈夫な紙
西の内紙の最大の特徴は「丈夫さ」です。その丈夫さを象徴する江戸時代の商人のエピソードがあります。
江戸時代、商人は販売の情報を「大福帳」という帳簿に記録し、年に1回、まとめて料金を払うシステムを取っており、客ごとに大福帳が作られていました。火事が多かったこの時代、炎から大切な顧客情報を守るため、井戸に大福帳を投げ込み、火事が収まった後に回収し、大福帳を乾かしていたそうです。西の内紙の大福帳は、濡れても乾かすと、井戸に入れる前と同じように、また1ページずつめくれることから、商人に愛用されていました。
それ以外にも、身分に関わらず、さまざまな用途で西の内紙が使われました。幕府や大名間の通達などに特に質の良い西の内紙が使われ、庶民の間では、布よりも紙の方が手に入りやすいこと、楮の節などの固い部分が混ざった書くことは不向きな紙でも十分な強度があることから、傘や作業服を作る際にも使われました。

◆西の内紙ができるまで
(1)1年かけて成長した楮を収穫(2月ごろ)
市内の生産農家では2月ごろ収穫を行います。収穫した切り株からは、また新しい楮が成長し、1年で収穫できるようになります。

(2)楮を煮て、「白皮」のみの状態に加工
楮は一度蒸して、水で冷やしたあと、一番外側の黒皮、一番内側の芯を取り除いて、和紙の原料になる白皮のみの状態にし、乾燥して保存しておきます。

(3)白皮をソーダ灰で煮て、繊維結合を緩くする
白皮をソーダ灰を入れた熱湯で煮ます。ソーダ灰でアルカリ性にすることで、繊維結合を緩くさせ、紙すき作業を行いやすくします。

(4)固い繊維など取り除き、繊維を叩く
紙の品質に影響を及ぼす節や固い繊維などを手作業で取り除き、その後、機械で繊維を叩いて柔らかくします。

(5)水、粘剤と混ぜて、1枚ずつ紙をすく
楮に水と粘剤と混ぜ、紙をすいていきます。粘剤には小美玉市などで生産されるトロロアオイという植物を使います。

(6)金属板の乾燥用機械に貼り付ける
金属板の乾燥用機械に紙を貼り付け、熱して乾燥します。板に張り付いていた側が紙の表側になります。