- 発行日 :
- 自治体名 : 茨城県小美玉市
- 広報紙名 : 広報おみたま 令和7年8月号
■8月に子どもと訪れたい平和を考えるおでかけスポット
戦後80年の節目を迎える今年は、メディアの特集や展示会などが企画され、記録や実物を通して戦争と平和について学ぶことができます。この機会に、市内の展示会や戦争遺構、県内にある記念館などに足を運んでみてはいかがでしょうか。
◆展示会
○戦争関係展示会《期間限定》
日時:8月1日(金)~8月31日(日) 9:00~22:00
休:月曜日、12日(13日~15日は17:00まで)
場所:生涯学習センターコスモス 展示ホール(高崎291-3)
費用:無料
【電話】0299-26-9111
○小川資料館テーマ展
Targets at the HYAKURIGAHARA
→開催情報は5ページ下を参照
◆市内の遺構
○田木谷地内の見櫓(やぐら)《実物が見られる》
戦時中、百里原海軍航空隊の敷地内で監視塔として使われ、戦後、現在地へ移築されたと伝わります。鉄骨部分をよく見ると、弾痕が数多く残っており(→4ページの右下写真)、かつての戦争の記憶を今に伝えます。
場所:国道355号田木谷交差点の近く
○旧百里原海軍航空隊正門跡
百里原海軍航空隊の正門の門柱の一部が残っています。昭和13(1938)年に筑波海軍航空隊百里原分遣隊として開隊し、飛行練習生の教育が行われていました。
→詳細は5ページのコラムを参照
場所:大和田羽生線山野交差点の脇
◆県内の記念館
○筑波海軍航空隊記念館《近隣の戦争遺構》
筑波海軍航空隊の跡地を活用し、同隊と戦争に関する記録の収集・保存・公開を行う記念館。司令部庁舎を始め、多くの史跡が当時の面影を残したまま現存している。
日時:9:00~17:00(入館は16:00まで)
休:毎週火曜日(祝日の場合は翌日休館)、年末年始(12/29~1/3)
場所:笠間市旭町654
費用:大人(18歳以上) 500円、小学生以上 400円(ワークシート付き)
【電話】0296-73-5777
○予科練平和記念館
予科練の歴史や阿見町の戦史の記録を保存・展示するとともに、次の世代に正確に伝承し、命の尊さや平和の大切さを考えることを目的に開設された記念館。
日時:9:00~17:00(入館は16:30まで)
休:毎週月曜日(祝日の場合は翌日休館)、年末年始(12/29~1/3)
場所:稲敷郡阿見町廻戸5-1
費用:大人 500円(400円)、小中高生 300円(240円)
※( )は団体割引料金(20人以上)
【電話】029-891-3344
※9/6~来年1/31まで、改修工事のため臨時休館
■今を生きる私たちにできること
遠い昔となりつつある戦争の記憶。当時の出来事を戦争体験者に語ってもらう活動をしてきた「太平洋戦争の体験を伝える会」の東野会長に、記憶を語り継ぐ意義と今を生きる私たちにできることを伺いました。
太平洋戦争の体験を伝える会
会長 東野一也(とうのかずや)さん
鉾田市在住。今年3月に会長となり、8月の講演会に向け準備を進めている。
◇太平洋戦争の体験を伝える会
2015年、太平洋戦争終結70年の節目の年に市内在住の戦争体験者、山口利雄(やまぐちとしお)さん、三橋利雄(みはしとしお)さんにより発足。「戦争の悲惨さを後世に伝えたい」との思いから、戦争体験者が当時の体験を語る講演会を定期的に開催してきました。設立者のお二人が亡くなった今も、その意思を受け継いで活動を続けています。
第9回戦争体験講演会を8月10日(日)に開催。3名の戦争体験者による体験談と、中学生による戦争体験談の朗読を通して、戦争の悲惨さや平和の尊さを次世代に伝えます。
→開催情報は3ページへ
◆「平和は当たり前ではない。だからこそ、助け合うことが大事」
当会は、玉里地区に住んでいた山口(やまぐち)さんと三橋(みはし)さんの二人が90歳を過ぎてから立ち上げた会です。戦時中、山口さんは特攻隊員でしたが、直前に盲腸にかかり出撃を免れ、生き残りました。三橋さんは陸軍二等兵として千葉で塹壕掘りをしていました。戦後長らく、当時の体験を語ることはなかったようですが、戦後70年が経過し戦争体験者が少なくなる中で「経験を後世に伝えなくては」と思ったそうです。二人にとって会の活動は「お茶飲み」の延長でした。よく集まっては、戦時中の話や農業、地域の歴史の話などをたくさん教えてくれました。講演会も規模の大きな「お茶飲み」だったのでしょう。知り合いなどに声を掛け、10年間で40人近い方に戦争体験を語ってもらいました。毎回、集まった講演者や聴衆と当時の体験を共有できて、二人も喜んでいました。「俺ら、今が青春だよ!」という言葉がが印象に残っています。
山口さんと三橋さん、そして過去の講演者の多くも故人となりました。戦後80年となり、今ある平和がどうできたのかを伝えることの難しさを感じます。私も戦争の話に関心を持ったのは、ご本人の体験談を聞くようになってからです。山口さんと三橋さんから「平和は当たり前ではない」ということを教えてもらいました。平和を守っていくにはささいなことでもケンカや争いをしないこと、周りの人と助け合っていくことが大事だと思います。二人の意思を継いで、戦争の悲惨さと平和を守ることの大切さを伝えていきたいです。自分がいなくなった後も、次の時代を生きる人たちに伝え続けてほしいと思います。
■私が聞いた80年前の記憶
広報おみたま7月号で募集した「戦時中の記憶」をご紹介します。
◇みのりんさん
父は長野の貧しい家の次男として生まれ、満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練所で学び、満州開拓団に夢を抱きました。しかし、満州では襲撃や飢えに苦しみ、肺病で帰国。ソ連の侵攻で再び満州へは戻れなくなり、自責の念にかられていました。戦後も茨城で開拓に尽力し、苦労に苦労を重ねた父でした。満州での経験を滅多に語ることはしませんでしたが、60歳で亡くなるまで「夢と現実は違う」「途中で帰って来てしまった自分は非国民だ」と言っていました。内原での「教え」が常に父の頭にあり、その言葉となったのでしょう。父の青春は戦争によって消されたのだと、戦争は地獄だと、思います。
◇かずやさん
鉾田で「特攻の母」と呼ばれた元教師、山崎泰子(やまざきやすこ)さん(旧姓:塙)から当時の話を聞きました。戦時中、特攻隊員として出撃間近だった山崎浩(ひろし)さんと結婚の約束をした泰子さんは、間もなく命を落とすかもしれない特攻隊員のため、鉾田陸軍飛行学校の部隊長に直訴して宴を催しました。そのとき、憲兵に見とがめられながらも、泰子さんは浩さんに「必ず帰ってきて」とラブレターを渡したそうです。その後、部隊は生還し泰子さんは浩さんと結婚することができました。泰子さんは96歳で亡くなりましたが、私にとって泰子さんは感動と感激のある人生を身をもって教えてくれた先生でした。
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