くらし 戦争の悲惨さ、 平和の尊さを学ぶ。

8月5日、6日に市内小学校6年生児童8人を市民の代表として広島市に派遣しました。
広島市平和記念式典に参列するとともに、広島平和記念資料館や広島平和記念公園などを見学し、平和の大切さを感じながら未来に向けてできることを考えました。

【参加児童による報告会】
8月23日、広く市民に平和な社会の尊さを伝えるため、西市民センターで参加報告会を開催し、広島に行って、「見て」「聞いて」学んだことや感じたことを報告しました。
参加報告会で児童たちが報告した感想文の一部を紹介します。
※スペースの都合上、文章を一部編集しています。あらかじめご了承ください

【参加児童の感想】(順不同)
〇鶴ヶ島第一小 秋山爽菜(あきやまさな)
皆さんは、平和について語り合ったことはありますか。もしくは、平和の尊さについて考えたことはありますか。今回、広島でさまざまなことを学びましたが、私は、平和とは、差別がなく、核兵器も使われず、人びとが安心して暮らし、当たり前の日常を送れることだと感じました。核兵器がないから、平和が壊されず、笑顔が絶えなくなるのだと考えます。そのような世界を作るために、世界の各国が互いの国を尊重し、認め合おうと努力することで、平和の輪が繋がってほしいと思います。
かつて広島で起きた事実や、そこから学んだ自分の想いをしっかりと伝え、ひとりでも多くの人が、平和を築く一歩を歩み出す世の中になってほしいと心から思います。

〇栄小 内田瞬香(うちだまどか)
祖父が広島県出身のため、親族から原爆に関する話を聞く機会が多くあり、広島に行って直接原爆について学びたいと考えるようになりました。
広島に行って、一番心に残っているのは平和記念資料館です。被爆者の写真や遺品などが展示されていましたが、どこを見ても恐ろしい原爆の跡ばかりで、胸が締め付けられるような思いでした。
今回の学習を通して、当たり前だと思っていた日常がこんなにも尊く、幸せであることに気づけました。原爆について、知ろうとする意思がない限り、真に理解することはできないと思います。だからこそ、今回学んだことを周りの人に伝えるなど、小さなことからでも平和に繋がると信じて、これからも日々過ごしていきます。

〇南小 山本(やまもと)みなみ)
広島に到着してまず感じたのが、本当にこの場所に原爆が落とされたのかということです。広島は建物もたくさんあり、綺麗で活気があるまちでした。しかし、その中に原爆ドームだけが、80年前のまま残っていました。建物の周りには多くのがれきがあり、写真でみるよりも迫力があり、原爆の威力を感じました。
今まで戦争や原爆をやってはいけないものとしか考えていませんでした。しかし、広島で戦争の悲惨さを学び、他人事ではなく、自分のこととして考えるようになりました。次世代に伝えられるように見て聞いてきたものを忘れずに、しっかりと覚えておきます。

〇新町小 池田咲(いけださき)
広島に行って、原爆ドームや平和記念資料館の見学や被爆者の方々から話を聞き、戦争中のことを勉強することで、もう二度と戦争を起こさせない、戦争の悲惨さを語り継いでいこうと決心することができました。
また、本で読んで分かったつもりでいた原爆の脅威を、現地に行って思い知らされるのと同時に今の生活がどれほど豊かな生活なのかを知りました。原爆で生き残ったとしても、「原爆症」の後遺症で亡くなってしまった方、広島以外にも長崎や東京、日本中で亡くなった方々は多くいます。何百万人もの尊い命を奪った戦争は二度と絶対にあってはいけないと強く感じます。

〇鶴ヶ島第二小 中鶴進二郎(なかつるしんじろう)
平和について、少し前までほとんど考えることなく過ごしていました。戦争のニュースを見ても遠い国の出来事で自分と関わりがないと思い、画面が変わると関心が薄れていました。しかし、美甘章子(みかもあきこ)さんの「8時15分」という本を読み、戦争や広島の原爆投下について勉強したいと考えるようになりました。
広島に行き、一番衝撃だったのは原爆ドームです。今も被爆したときの状態で残っており、原爆の悲惨さを忘れてはいけないと静かに訴えかけているようでした。
今回の貴重な体験を決して忘れずに、周りの人などに伝え、それを繋げていくことが大切だと思います。この世界のどこでも戦争が起きることなく、平和な世界が実現しますように。

〇杉下小 河合颯空(かわいそら)
私は毎年、8月6日に黙とうをしています。いつか広島に行って、平和について学びたいと考えていました。
広島ではさまざまな場所を見学しましたが、平和記念資料館で心に残っているものが二つあります。一つ目は、「三輪車」です。真っ黒に焼け焦げたそれは、どれほどの熱を浴びたのか、原爆の威力がよく分かるものでした。二つ目は、「魂の叫び」です。ここには当時の人たちの言葉が残っており、「行ってきます」が最後の言葉だったなど、心に刺さるものが多くありました。また、語り部の方から当時の話を聞き、とても胸が痛くなりました。
なぜ人は戦争をしなければいけないのでしょうか。昭和20年8月6日8時15分のあの瞬間を誰も忘れてはいけません。

〇長久保小 山根緋奈乃(やまねひなの)
私は実際に広島に行って、過去にどんなことがあったのかを目の当たりにし、どうしたらよりたくさんの人にこのことを伝え、平和な世界を作れるかということを学びました。平和記念式典では、児童代表が平和への誓いを述べる場面がありましたが、堂々と話しており、その姿はとても印象に残り、私も平和への意識が高まりました。
このように、広島の歴史や平和がどれだけ大切なのかを伝えるには、まずは興味をもってもらうことで、多くの人に伝えられるのではないかと思いました。なので、この報告を聞いて、読んで、少しでも興味を持ったら、平和や原爆について自分なりに考えてみてほしいです。

〇藤小 原島花音(はらしまかのん)
広島に訪れて初めに感じたのは、緑豊かで活気にあふれるこの場所に、本当に原爆が落とされたのかという疑念でした。しかし、原爆ドームを目の前にした瞬間、空気が一変し、当時の悲惨な記憶が無言で訴えかけてくるように感じました。
私たちは過去の悲惨な出来事を正しく学び、語り継ぎ、世界に伝えていかなければなりません。それは、世界で唯一の被爆国である日本に生きる私たちの使命だと思います。戦争や核兵器について正しい知識を学び、世界で起きている現実に目を向けること、そして、互いの違いを認め、小さな対立を解消する努力を積み重ねることが、平和への一歩に繋がると信じています。

問合せ:総務人権推進課庶務人権担当