文化 今に遺(のこ)る千住宿の面影(3)

■千住宿の[流通]
隅田川の水運に恵まれた千住宿には、様々な場所から様々なものが集まりました。市場機能をはじめ、問屋街としても繁栄していったのです。

◆職業から見る千住宿
当時の千住宿にいた職人上位5種から、当時の千住宿の様子を読み取ることができます。1位と4位はいずれも流通を担った人々。千住宿が、流通のまちだったことを物語っています。

▽千住宿の職人上位5種
出典:文政10年(1827年)「千住宿明細帳」(甲田家文書)

順位:1位
人数:62人
職名:車力職
概要:荷車で物資を運ぶ職

順位:2位
人数:32人
職名:大工職
概要:建築を行う職

順位:2位
人数:32人
職名:髪結い職
概要:理美容の職

順位:4位
人数:18人
職名:舟頭職
概要:舟の運航を行う職

順位:5位
人数:15人
職名:鳶職(とびしょく)
概要:職人衆の頭

・車力職
千住橋戸町に取り締まり役が置かれ、宿内の諸問屋などに取引物資を運搬しました

・髪結い職
一般の宿泊客のほか、江戸に入る前に大名たちが身だしなみを整えました

・舟頭職
隅田川から荷物を運び入れたほか、舟で人々を江戸や郊外に運びました

◆今に遺る建造物
千住のまちに遺る2軒の建造物が、当時の問屋街の名残を今に伝えています。

▽地すき紙問屋 横山家住宅(千住4丁目28番1号)
横山家は、再生紙を取り扱う問屋で、建物は江戸時代後期に建てられました。間口が約23メートル、奥行きが約102メートルと、奥に長く、戸口が街道から一段低いのが特徴です。店がお客様よりも下側にあるこのつくりは、お客様をお迎えする当時の問屋の心がけが現れたものだといわれています。

▽絵馬屋 吉田家住宅(千住4丁目15番8号)
吉田家は、江戸時代から代々絵馬を製作している絵馬屋です。小絵馬の図柄は「千住絵馬」として有名です。千住絵馬は、木に胡粉(こふん)(日本画に用いられる顔料)を塗り、手の込んだ鮮やかな色の絵の具で家伝の図柄を描きます。

千住絵馬
[千住宿の住民をはじめ、多くの人々に求められました]

◆まち並みから見る問屋街
千住宿の問屋街では、街道沿いに多くの建物を集めるために、間口は狭く奥行きが長い区画割りが行われました。その間口の広さに合わせて、幕府や大名の書状や荷物を次の宿場まで運ぶ「伝馬役」を負担しました。細長いつくりであることから「鰻(うなぎ)の寝床」と呼ばれるこの区画割りは、現在も大きく変化していません。また、道幅も江戸時代からほとんど変わっていません。

現在も、旧日光街道を中心に横に細長い区画割りがみられます
[道幅は江戸時代のまま約13メートル!]

◆千住のやっちゃ場
千住河原町はかつて「やっちゃ場」と呼ばれる青果問屋街でした。享保20年(1735年)、「御用市場」として幕府に認定され、神田・駒込と並ぶ江戸の三大青物市場の一つに数えられました。隅田川の水運を利用して多くの農産物を集め、転売し、それを都心の市場の朝市に間に合うように運ぶため、やっちゃ場は午前3時に市が開いたといいます。

御用札
※郷土博物館所蔵
[江戸城に青果を献上するときは、荷車にのせた青果に「御用札」をさしていました]

千住河原町稲荷神社(千住河原町10の13)の境内には、当時のやっちゃ場の威光を伝える「千住青物市場創立三百三十年祭記念碑」(明治39年〈1906年〉建設)が建っています

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