くらし [特集3]富士登山規制の新たな取り組み(2)

■古の富士登山の復活を目指す!
世界文化遺産富士山の雄大な姿は、古来より人々を魅了し、信仰と登山の対象として日本の文化に深く根付いてきました。近年、五合目からの登山が主流となる中、忘れられつつある「古(いにしえ)の富士登山」の魅力に改めて光を当て、その復活を目指そうという動きが高まっています。
古の富士登山とは、麓の町や村から山頂を目指す登山スタイルです。長い道のりを一歩一歩踏みしめ、自然の厳しさや美しさ、そして歴史の重みを感じながら登る、奥深い体験ができます。
かつて富士登山は、信仰と深く結び付いたものでした。富士講信者は、富士山を霊峰として仰ぎ、麓の神社で安全祈願をしてから登山を開始します。登山道沿いには、多くの神社や祠(ほこら)などが点在し、登山者たちはそこで祈りを捧げ、霊峰富士への畏敬の念を深めました。吉田口登山道には、特に多くの神社や祠が残されており、「古の富士登山」を体験することで、当時の巡礼者たちの思いに触れることができます。
代表的な信仰の場として、北麓の船津胎内や吉田胎内が挙げられます。これらは溶岩洞穴であり、かつては胎内潜という修行がありました。母胎回帰の思想に基づくもので、暗闇の中、狭い洞穴をはい進み、生まれ変わりを体験すると伝えられています。胎内潜は、富士登山における重要な修行の一つであり、当時の信仰の深さを物語っています。
「胎内道」と呼ばれる道は、胎内樹型という溶岩洞窟を通る道筋でした。この溶岩洞窟は約1000年前に八合目付近から流れ出た「剣丸尾溶岩流」の上にできた森の中にあります。洞窟は、「溶岩樹型」と呼ばれる稀少な地質現象で、世界でも富士山とハワイ島だけに存在します。
吉田胎内樹型は10世紀に、富士山噴火の際に流出した溶岩流の東端に形成されたものです。いくつもの樹木が重なり合って複雑な樹型を作り、その形が女性の胎内に例えられたことから胎内信仰につながりました。
「胎内巡り」を行う富士講信者は「御胎内」を訪れ、洞内を巡って身を清め、その後、富士講の宿坊である御師住宅に戻って翌日の登拝に備えます。この行為は「生まれ変わり」の儀式として大変重要なものでした。
胎内潜りを終えた信者に対して御師はオマクリを振るい、「無事に生まれることができて、おめでとうございます」と声を掛けたといいます。オマクリとは、新生児への初授乳の前に「胎毒おろし」のためにマクリ(海人草)などを煎じた飲み物のことです。また、胎内は子安神として安産祈願の場にもなりました。乳房状の岩から滴る水を鉢や紙で受け、それを腰帯や守りとしたのでした。
4月29日に行われる吉田胎内祭は、この古くからの胎内信仰が現代にも伝わる貴重なものです。地元の人々によって守られてきた吉田胎内の文化的価値を体験することができます。
かつての富士登山は、単なるレジャーではなく、心身を清め生まれ変わる神聖な行為でした。このような登山道の復活は、現代の私たちに富士山の持つ文化的・精神的価値を再認識させるものです。麓からゆっくりと登る古の道をたどることで、新たな富士山の魅力に触れることができるでしょう。

◇河口浅間神社 孫見祭
ー稚児の舞ー
「河口の稚児の舞」は河口浅間神社の祭礼で奉納される少女たちによる神楽です。富士山信仰と関連する太々神楽の神子舞の流れを汲み、近世から現代までの変遷が追える貴重な事例として重要です。この舞は「オイチーサン」と呼ばれる少女たちにより、孫見祭(4月25日)と太々御神楽祭(7月28日)に奉納されます。演目は五番あり、特徴的な衣装と古風な舞振り、独特な足運び、本殿への回廊を巡る動きなどに特色があります。

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