- 発行日 :
- 自治体名 : 大阪府大阪市浪速区
- 広報紙名 : 広報なにわ 令和7年7月号
■学校配置の適正化(学校の統合)に向けた説明会を開催しました!
浪速区には、子どもの数が少なくなっている学校があります。これは、早く解決しなければならない問題です。説明会では、学校を1つにする計画についてお話ししました。その説明会の資料などをホームページへ掲載し、説明会動画をYouTubeで公開しましたので、お知らせします。詳細は、ホームページをご確認ください。
問合せ:区役所 市民協働課(教育・学習支援)
【電話】6647-9743【FAX】6633-8270
■浪速区制100周年記念事業
~浪速区の生い立ちを振り返ります~ Vol.9
明治36年3月~7月に、天王寺公園・新世界エリアで開催された第5回内国勧業博覧会は、大阪の文化経済の発展に大きな影響を与えました。
大阪市は、明治28年第4回博覧会の開催が叶わなかったため、32年2月市会において、第5回博覧会の会場敷地無料提供を決議し、当時、候補地に挙がった茶臼山(ちゃうすやま)と北福崎新田(きたふくざきしんでん)(現在の大阪市港区)のうち、決定した茶臼山区域約10万坪を買収しました。
この頃の恵美須町周辺は原野のような土地で、茶臼山や河底池のあたりは、狐や狸の住み処といわれていました。
この博覧会は政府直営で、恵美須町側の正門入り口前には高村光雲作の楊柳(ようりゅう)観音の噴水を設け、会場内には国内外の逸品を陳列した21棟の陳列館や七色の照明・ウォーターシュート・大蘇鉄など人目を引くものが数多くあり、多くの人々が来場しました。
明治天皇も4月20日の開場式に出御され、その後も陳列品を御覧になるため皇后とともに、7度行幸されました。
博覧会が大盛況のうちに終了し、巡航船や市電が運行され、初めて大阪でも自動車が走行するようになりました。
会場跡地の利用については、明治36年9月市会で、東半分は公園として整備し、西半分の約5万坪は売却することが決まりましたが、37年2月に日露戦争が起こったため、陸軍用地として使用された後、41年から東側の公園工事が開始され、42年に天王寺公園として開園しました。
西側については、歓楽地帯とするため、明治44年8月に資本金300万円で設立された大阪土地建物株式会社に賃貸し、45年7月にルナパークのシンボルとして通天閣が誕生しました。また、明治44年12月に阪堺電気軌道株式会社が恵美須町-大小路(おおしょうじ)(堺市)間を開業するなど、画期的な発展を遂げました。
写真1枚
第5回内国勧業博覧会 教育館(大阪市立図書館デジタルアーカイブより)。
問合せ:区役所 総務課(企画調整)
【電話】6647-9683【FAX】6633-8270
■応募〆切 7月20日(日) なにわ感想アンケート
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