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- 自治体名 : 和歌山県高野町
- 広報紙名 : 広報高野 令和7年9月号
金剛峯寺本坊のうち、建築年代が明らかなもののうち、最も古い建造物は真然堂ですが、これを遡る可能性があるものが築地塀です。築地塀は、大主殿から別殿に行く渡廊下を渡る際に目にすることができます。渡廊下の北方は延長50.2m、南方は延長40.1mの切妻造、檜皮葺で青巌寺の寺域の西を区画しています。絵図や文献、現在の築地塀の状況などから判断すると恐らく秀吉が青巌寺を建立した1593年頃に設置したものが残されていると思われます。
本坊の西側の区画塀は「築地塀」、山門に接続する南側の区画塀は「かご塀」と名称が異なりますが、これは塀の構造の違いによるものです。築地塀は、版築という土を突き固める手法により造られたもので、中まで土で造られた土塀になります。しかし、かご塀は外観は築地塀のように見えますが、中に人が出入りできる空間のある塀であり、幅約1.7mの塀の表と裏に壁土をはった構造となっており、「籠」のような構造から「かご塀」と呼ばれています。
なお、かご塀は文久3年(1863)の建築であり、山門東方が延長62.5m、西方が延長49.8mの切妻造、檜皮葺。山門の脇の部分に潜り戸と出格子窓を設け内部に天井と床を張り、門番小屋としています。塀の内部に空間をもつかご塀であるからこそ、このような門番小屋を併設することができたのでしょう。
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