- 発行日 :
- 自治体名 : 和歌山県印南町
- 広報紙名 : 広報いなみ 令和7年10月号 No.363
■続けることの意味
印南町長 日裏 勝己(ひうらかつみ)
今年も残すところ3か月となりました。9月に入っても35度を超える猛暑が続き、今年の夏がようやく終わろうとしているときに、すでに来年の夏が心配です。
さて、8月10日執行の印南町議会議員選挙は無投票で11名が当選されました。9月2日に臨時議会が開会され、新たに黒井美晴議長、片山智文副議長が選ばれました。誠におめでとうございます。執行部、議会が両輪となり印南町発展にお力添えいただけますよう、よろしくお願い申し上げます。
また、堀口議長は12年間、前田副議長は4年間それぞれ連続して務められ、町の発展にご尽力いただきました。心より感謝と御礼を申し上げますとともに、引き続きご指導ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。
さて、9月9日の午前2時20分に、「ハルウララ」が死亡したと報道されました。私は、競馬にはほとんど興味はありませんが、「ハルウララ」はよく耳にしていました。20代の頃、一度だけ阪神競馬場に連れて行ってもらったことがあります。結果はどうだったかは覚えていませんが、多くの観客と、はずれ馬券が足元にたくさん散らばっていたことが記憶にあります。ハルウララは、デビューから一度も勝利したことがなく、113連敗の記録を残し、29歳(人間でいう90歳越え)でこの世を去りました。「走っても当たらない」と交通安全のお守りや、不況で就職氷河期だった当時、「負け組の星」として全国的な共感も呼びました。ハルウララは1998年11月に高知競馬の第1競走でデビューし、5頭立ての5着が始まりであります。2003年に100連敗に達したことが、全国的な知名度をあげました。2004年3月22日、106戦目にはトップジョッキーの武豊騎手が騎乗し、高知競馬場は1万3000人の来場と最多の8億6900万円を売り上げました。結果は11頭立ての10着に終わりましたが、武豊は「乗りやすい馬。ちょっと脚が遅いだけ。」とコメントしています。2003年6月、高知競馬が財政状況の悪化から廃止の危機に瀕していたことから、担当職員のアイデアで「何とか人目の引くことをしよう」と新聞社やテレビ局に広報資料を送付し、新聞やマスコミで取り上げられました。
武豊騎手は「強い馬が、強い勝ち方をすることに、競馬の真の面白さがあると思っています。この気持ちは今も変わらないが、高知競馬場にあれだけのファンを呼び、日本全国に狂騒曲を掻き鳴らした彼女は、間違いなく〝名馬〟と呼んでもいいと思います」と評しています。一度も勝つ事が出来なくても諦めずにひたすら走る続けたことは、見習わなければならないと思います。
どうか安らかに眠ってください。