くらし 【特集】戦後80年、平和への誓いを新たに 記憶の橋を架ける(2)

■平和のために今、伝えたいこと
○昭和7年生まれ 濵田(はまだ)邦彦さん(93歳)
80年前、都城中学2年生だった濵田邦彦さんは、昭和20年8月6日の都城大空襲を鮮明に記憶しています。「低空を飛ぶ米軍機※グラマンのパイロットの顔がはっきり見えました」と語り、当時をこう振り返ります。「突然の爆撃で自宅の外井戸は屋根が落ち、木製の洗濯桶の外側が熱風で焦げ、菜園の茄子が焼け茄子になるのを横目に必死で避難しました。昼前から午後まで続いた空襲で町一帯が炎に包まれ、焼け野原と化しました。翌日、牟田町の自宅に戻ると景色が一変していて、隣接するお寺の本堂は焼け落ち、まだ火が燻(くすぶ)る町の中に、西都城駅が見えたことを覚えています」
都城西飛行場で特攻機の出撃を見送った記憶もあるという濵田さん。自宅からは、いつ飛ぶか分からない若い隊員たちが白いマフラーをなびかせた飛行服姿で、近くの料亭に出入するのが見えたといいます。後年、宴に同席した人から「『自分が飛ぶときは翼を振るよ』と言い残し、確かに翼を振って飛び立つ機体がいた」と聞いた―そんな話を、忘れられない記憶として語ってくれました。
終戦を聞いた時は「少年だったので負けた悔しさのようなものがあった」と語る濵田さん。民間人を無差別に殺した沖縄戦や広島・長崎への原爆投下を強く批判し、「戦争を体験した者として毎年夏が来ると平和とは何かを考えます。物の豊かさ=平和ではない。平和を考えることは人間の本質を問うことで、突き詰めれば正しい道徳観・倫理観・世界観を持つことです」と話します。
家族や友人を大切にし、世界旅行や読書、パソコンなど今も精力的に活動する濵田さん。その壮絶な体験と平和への願いを、優しく丁寧に語ってくれました。

※グラマン…第二次世界大戦中、アメリカ海軍が使用した戦闘機の通称

○昭和12年生まれ 永﨑(ながさき)郁子さん(87歳)
「防空頭巾をかぶり、雑嚢(ざつのう)を下げて、サイレンが響き渡る中を必死で走りました」と話すのは、80年前高崎国民学校の2年生だった永﨑郁子さんです。本市でも空襲が続いていた昭和20年のある日、友人と2人で家路を急いでいた永﨑さんは、米軍機の接近を告げるサイレンを耳にします。「『早く、早く』と走っていると、頭上に暗い影が落ちたんです。隣を走る友人に今すぐ隠れるよう言われ、2人で道路の脇に積まれた材木の影に身を隠しました。その時、私たちの背後に広がる田んぼに向かって、米軍機が機銃掃射してきたんです。恐る恐る見上げると、低空飛行する米軍機に乗る兵士の顔がはっきりと見えたのを今でも覚えていますよ」と永﨑さんは80年前の忘れられない出来事を話してくれました。
当時、家が農業を営んでいたという永﨑さんは、戦時中の暮らしについてこう振り返ります。「当時、今では考えられないような貧しい生活をしている人たちが本当にたくさんいました。取るものもとりあえず、命からがら疎開してきた人たちは特に、その日の食べ物にも困るような生活だったんです。誰もが自分と家族のことだけで精一杯だった。着るものもなかったあの時代に、自分たちの着物の帯をほどいて、防空頭巾を作ってくれた母たちには本当に感謝しかありませんね」
現在87歳の永﨑さん。地区の高齢者学級に長年通い続け、コーラスや体操、絵画などこれまでさまざまなことに挑戦してきました。「あの時救われた命だからね。色々なことを経験して、しっかり生きていかないとと思うんです」そう語り、今日もまた永﨑さんは力強く前を向きます。

※高崎町史によると、昭和20年8月に高崎橋付近で荷馬車が米軍機の機銃掃射を受け、その後高崎新田駅や農業倉庫が攻撃を受けたことが分かっています

■つないでいく、平和の願い
◆語り継ぐ戦争の記憶
戦争体験を継承し、平和の尊さを子どもたちに伝えようと、7月8日、夏尾中学校で語り部による平和学習が行われました。
講師を務めたのは、山田町出身で語り部グループ「南(みなみ)の風(かぜ)」代表の常盤泰代(ときわやすよ)さんです。講話では、戦争が起きた経緯や当時の軍国主義的な教育、都城大空襲の被害状況などを説明。また、常盤さんが当時の写真や戦争体験者の証言を紹介しながら、人々の暮らしや思い、戦争の悲惨さを語ると、生徒たちは真剣に耳を傾けました。
「私たちの権利にはどんなものがありますか」と問いかける常盤さん。生徒たちが「学ぶ、遊ぶ、食べる」などと答えると「その権利を一瞬で奪うのが戦争。あなたたちの大切な権利を守っていけるよう、平和な世の中を作っていってほしい」と平和な未来への願いを込めて、力強く語りかけました。以下では、講話を聞いた生徒たちの声を紹介します。

○白谷成志(しらたにじょうじ)さん(1年)
機銃掃射で多くの市民が犠牲になったと知り、つらい気持ちになりました。都城でも豊かな土地が軍事用の飛行場になって、悔しかったと思います。戦争は二度と起こしてはならないと思いました。

○長井叶羽(かなう)さん(2年)
戦時中の子どもたちの様子や教科書の話を聞いて、私達と年齢が近いこともあり、「どんな気持ちだったのだろう」と想像すると怖くなりました。たくさんの権利が守られている今の私たちは恵まれていると感じました。

○津曲美咲さん(3年)
戦争体験者の話を聞き、平和のありがたさを改めて実感しました。二度と戦争が起こらないよう今回の講話をしっかりと理解し、若い世代の私たちも戦争の悲惨さを周りの人に伝えていく必要があると思いました。

○高島美海(みう)さん(3年)
出征した人が大事な人と二度と会えないことを当たり前に思う状況に、胸の奥が痛くなりました。多くの尊い命を奪う戦争は私たちにも近い出来事で、過ちを繰り返してはいけないと強く思いました。