- 発行日 :
- 自治体名 : 沖縄県西原町
- 広報紙名 : 広報にしはら 2025年9月号 No.643
沖縄戦の終戦から80年を迎えた今日、戦争体験者の減少、戦後世代の増加と相まって、戦争の歴史的教訓が年々風化し、その悲惨さが忘れ去られようとしています。
西原町は、戦争体験者の方々からの貴重な体験談を紹介し、次世代へ継承していきます。
■「平和への証言」
あの時にタイムスリップして
新垣シゲ子(当時高等科の学生)
平成16年6月西原南小学校での講話
1944年10月10日、沖縄の那覇に空襲が始まりました。その時は、まさか戦争だとは思ってもみませんでした。しかし、西原方面も徐々に爆撃が激しくなり1945年3月、「住民は玉城村へ行きなさい。」との立ち退き命令がありました。しかし、両親と私たち姉妹7人家族は、玉城村へは行ったこともないので道を間違え大里村の方へ行ってしまいました。
5月頃でしょうか、「首里城が攻められたら沖縄はダメだ。」との噂が流れていました。それからの暮らしといえば、朝7時頃から夕方5時頃まで陸・海・空からどんどん弾が飛んできました。夜になると1日分の家族の食料である芋を炊き、闇に紛れて今日はこの部落、明日はあの部落へとあてもなくどんどんと追いやられ南の果てまで行きました。
途中、日本の負傷兵が座り込んでいて道行く人々に「お水下さい。お水下さい。」と、助けを求めていても誰もが自分のことで精一杯でしたので知らないふりをして通り過ぎるしかありませんでした。その兵隊は「お母さん、沖縄の土となっていくよ。」とわめいていました。しかし、あの頃の日本の教育は、天皇のため、国のため、と若い命を無駄にして本当に残酷でした。
戦争はまだまだ続いていて、何度か命拾いをしたこともありました。それから6月19日は1日中空襲でした。忘れもしません。6月20日の朝10時頃、近くの繁みにいた友達は航空機から直撃を受け即死したようだと聞かされましたが、もはや驚きや温情や悲しみに暮れる余裕もありませんでした。そして、その日の夕方、海岸の方から日本語で「住民は出て来い。」と声がし、その声はハワイ生まれの日系2世とのことでした。その呼びかけに私たちは、自分の村へ帰れると安心し20人くらいで山を下りようとしているとアメリカ兵が手まねで「来るな。」と静止したのです。なぜなら近くに潜む日本兵に向けて照準がされていたのです。にもかかわらず、母が弟2人の手を引き歩き出したので、その後を追おうと歩みだした瞬間、戦車からの砲弾が2~30メートル先に落ちたかと思うと、爆風で私の身体は宙に舞い上がり、空中で両親や弟達の驚愕と同時に悲痛な目を見ました。「もうこれで自分も死ぬんだ。」と思ったら落ちた所は畑でした。家族が私の周りに集まり、心配そうに顔を覗き込んだとき、私は「ナー、ワンネー死ンジョン。」と言うと、母は生きていると安心したのか、「クマウトーティ フンデーシーネー ナーヒン弾ンカイ、イラリンドー。」と、私を励まし抱き起こしました。そして、両親に支えられながら糸満のとある部落にたどり着きました。
気がつくと、私の手首は、落下した衝撃により複雑に骨折したらしく、3倍くらいに腫れ上がっていました。とりあえず、病人やケガ人をアメリカ兵が診療治療を行っていたので、そこに行きました。言葉の通じない彼は、身振り手振りで「あなたの手が動かないのなら切断する。」と言ったので、おびただしい医療器具を目の前にして驚いた私は、力を振り絞ってわずかに指先を動かして見せると「OK大丈夫だろう。」という素振りでホッとしました。しかし、そこでちゃんとした治療が施されなかったため、私の右手は今もなお不自由です。
その日のうちに私たち家族は、トラックで石川の捕虜収容所へと送られました。それから1ヶ月あと、身重だった姉がいよいよ出産となった日、母に産婆を探してくるように言われたのですが、ただオロオロするばかりで途方に暮れて帰ってくると、母が赤ん坊を取り上げた後でした。そして、もっと驚いたことに母が一本の鰹節を手にしていたことでした。産後の娘と赤ん坊のために、誰にも言わずに大事に大事に隠し持っていたのでした。何もない収容所の中、栄養豊富な鰹節の汁で赤ん坊も無事に育っていきました。子や孫を想う母の愛情の深さをしみじみと感じたものです。
戦後の今は水道、電気、食べ物も何でもあり、あって当然の豊かな世の中ですが、もしも戦争が勃発したならばどのような暮らしになるのでしょうか。
あの時のことは、74歳になった今でも忘れられません。15歳の少女が着の身きのままの中の生活。芋を掘り背負い、薪を拾い集め火を熾し、水を汲みその日1日を生きるだけで精一杯でした。あのような悲惨な体験は誰にもさせたくはありません。
戦争は絶対反対です。皆で世界平和を願いましょう。
戦争体験証言集「平和への証言」は西原町立図書館でご覧いただけます。