くらし 特集 ワンダータウン、富田のたからもの(2)

■富田の歴史や文化を守り伝える「けさたんと会」。
ー岡島さんは、富田で生まれ育ち、店を構え、現在、富田商業振興会の会長も務められて、この町を知り尽くされていると思いますが、その魅力はどこにあると思われますか?
▽「まずは、歴史と文化がしっかりと今も残っているということ。さまざまな宗派のお寺や2軒もの酒蔵が健在なのは、お金では買うことのできない財産ですよね」

ー本当にそうですね。そしてその財産を守り伝えるために「けさたんと会」という会があると聞いています。
▽「はい。会の名前は、松尾芭蕉の弟子・宝井其角が詠んだ回文俳句『けさたんと のめやあやめの とんたさけ』からきてまして。酒造りをはじめとする富田の歴史と文化を伝えることを目的に平成2年に発足しました」

ー“今日は朝からたくさん富田酒を飲めるぞ”という喜びの句でしょうか?いいネーミングですね。「けさたんと会」は、どのような活動をしていますか?
▽「酒蔵や町の見学会を実施したり、三輪神社の『花の野点』などの伝統行事に参加したり。『あやめ』という会報も出しています」

ー実際に現場に出かけて、富田の伝統や文化を体感するのはとてもいいことですね。
▽「では、これから町を歩いてみますか?」

ーぜひお願いします。
▽「よし!では行ってみましょう!」

■町を歩いていると、これまでの歩みを実感。
ー今歩いている道は、どういう道なんですか?
▽「われわれは、蓮如さんの道と呼んでいます。蓮如上人は、室町時代の僧で、浄土真宗中興の祖。一説には福井県・吉崎から丹波国の山中を越え、高槻の萩谷を通って富田に来たと言われています。ここに蓮如上人の腰掛石が残っていますでしょ」

ー本当だ。この石に座って道中の休憩をしたのですか?
▽「いえいえ(笑)。ここに腰掛けて、布教をしたと言われています。あとで行こうと思っている教行寺は、蓮如さんが開いた布教活動の拠点・富田道場が後に寺になったと伝えられていますね」

ー教行寺を中心に栄えた寺内町としての顔を持つ富田ですが、この石がその始まりと言っていいかもしれませんね。
▽「そうかもしれませんね。蓮如上人の腰掛石から南側は、酒造りで栄えていた江戸時代、多くの造り酒屋があったエリアです。その代表的なものが“紅屋”ですがその屋敷跡もありますし、江戸時代の漢詩人・入江若水の実家、造り酒屋の“亀屋”があったのもこのあたりです」

ー最盛期には、24軒の酒蔵があったようですね。それにしても、このあたりは坂が多いですね。
▽「富田は高槻市内で唯一の台地ですからね。昔は城みたいな形になっていて、入り口には門があったんです」

ーなるほど。圓通寺もずいぶん急激な階段が境内へとつながっていますが、富田ならではの立地なのかもしれませんね。
▽「次に、先ほど話をしました教行寺へ行きましょう」

ー教行寺は、富田寺内町が発展するのに欠かせないお寺ですね。
▽「はい。昔は、ここに私が通っていた幼稚園があったんですよ」

ー昔は、お寺に保育園や幼稚園がありましたもんね。
▽「最近は富田の商店街にも保育園が三つでき、小さい子どもが増えてかわいいですね。次は、私が好きなお寺・普門寺に行きましょう。ここには半年ぐらいの短い期間ですが、幕府があったんですよ」

ーえっ、富田に幕府ですか?
▽「はい、室町時代、普門寺は政治拠点としての役目をしていて、室町幕府14代将軍の足利義栄が短い期間でしたが、ここで政治を行っていたんです」

ーこの石畳、隠元作と言われているそうですが、中国からインゲン豆も伝えたという有名な僧がここにいたんですか?
▽「そうなんです。後に京都の宇治で黄檗宗の大本山・萬福寺を開いた隠元禅師が、ここに6年ぐらいいたということです。富田が酒造りで繁栄したことは有名だけど、隠元さんの下に全国から僧が集まってきて、富田第二の発展の基盤を作ったのは隠元さんだと思います。私はここの庭が好きでねぇ。江戸時代に作庭された枯山水の庭園もあるんです」

ーいろいろと物語のある寺なんですね。すぐ近くには三輪神社、本照寺もあって、このあたりはとても風情があり、歩いていても楽しいです。