くらし 《特集》もしもの災害時のために… あなたに合った「備(そな)えかた」を(2)

■被災の記憶と、今に活かす防災の力
●防災危機管理課 仲林主査インタビュー
平成27年の関東・東北豪雨では、市内で甚大な被害が発生しました。当時、県の防災航空隊長として災害対応の最前線に立ちながら、自宅も被災した防災危機管理課仲林主査に、被災時の経験や現在の防災業務への思いを聞きました。

▽「まさか」の被災、そして家族の安否
「夜中の1時頃、県庁から連絡が入りました。『鬼怒川の様子を確認してほしい』と。隊員全員を招集し、つくばヘリポートへ向かったものの、豪雨で飛ぶことはできませんでした」
当時、仲林さんは現役の消防士。茨城県の防災航空室に派遣されており、防災ヘリの出動を判断する責任者として、災害対応に追われていました。
翌日、初動対応を終えて戻ってきた隊員から、思いもよらぬ一言が。「隊長、大変です。自宅が浸水されています」。自宅が被災していた事実を、そのとき初めて知ったといいます。
「家には体が不自由な家族もいました。すぐに避難できる状況ではなかったんです」。水が押し寄せたのは決壊箇所から10km以上離れた地域。「まさか、自宅まで水が来るとは思いませんでした。どこかで油断があったと思います」

▽地域の備えと、共助の難しさ
当時、仲林さんは地元の町内会役員として、防災倉庫の設置を主導したばかりでした。しかし、自宅の備えとなると後手に回っていたと振り返ります。「地震には意識が向いていましたが、水害への備蓄や避難経路の確認はほとんどできていなかったんです」
さらに、災害直後に目の当たりにしたのが、地域の共助の難しさでした。「近所で大きな声が飛び交い、泣いている人もいました。原因は、被災ゴミの集積所。悪臭がひどくて、近隣住民が我慢の限界だったんです。共助という言葉はよく聞きますが、それが実際に機能するには、日頃からの顔の見える関係や、要支援者への意識が必要なんだと感じました」

▽経験を伝え、次の備えへ
仲林さんは今年度から、防災危機管理課で防災士の養成や防災教育に取り組んでいます。
「これまでは“起きてから対応する”災害対応が中心でしたが、今は“起きる前に備える”減災の仕事です」。救助する側から、備えを伝える側へ。仲林さんはその役割を誇りに感じています。
「被災した当時、全国からたくさんの支援をいただきました。義援金、支援物資、そして自衛隊や消防の皆さんの救助活動。それがなかったら、家族は無事ではいられなかったかもしれません」。仲林さんはその感謝を胸に「今度は自分が恩返しする番だ」と、日々防災啓発に力を注いでいます。
「防災に“終わり”はありません。完璧な備えなどないけれど、少しでも備えていれば、助かる命があります。それを伝えていきたいんです」

問い合わせ=(水)防災危機管理課
【電話】内線2210